とてつもない。

すごい人だとは知っていたつもりだったが、すごいを通り越してとてつもない人だとしか言いようがない。よって本書はスゴ本ではなく、トテツモ本である。

本書で確信することが出来た。

貧困のない世界は、夢ではなくヴィジョンなのだと。

本書「貧困のない世界を創る」は、2006年ノーベル平和賞受賞者である著者が、小は自ら、大は人類全体の現在、過去、そして未来を語った一冊。

目次 - 貧困のない世界を創る:ハヤカワ・オンラインにないので手入力
プロローグ 始まりは握手から
第一部 ソーシャル・ビジネスの約束
1 新しい業種
2 ソーシャル・ビジネス - それはどのようなものか
第二部 グラミンの実験
3 マイクロクレジット革命
4 マイクロクレジットからソーシャル・ビジネスへ
5 貧困との戦い - バングラデシュ、そしてさらに遠くへ
6 神は細部に宿る
7 カップ一杯のヨーグルトが世界を救う
第三部 貧困のない世界
8 広がりゆく市場
9 情報技術、グローバル化、そして変容した世界
10 繁栄の危機
11 貧困は博物館に
エピローグ 貧困は平和への脅威である

著者のとてつもなさ、それは視野の広さと手腕の細かさを同時に兼ね備えていることだ。この人は、鳥の目と蜘蛛の手足の両方を持っているのだ。

まずは視野の広さ。本書の名前をもう一度確認して欲しい。「貧困のない世界を創る」だ。「貧困のないバングラデシュを創る」ではない。後者だけでも大変なのに、著者は前者をも視野に入れているのだ。

なんでそんなことまで知っているのだろうというぐらい、著者は国外の事情にも通じている。それも大枠ではなく、あたかもそこに行って直に手で触れたのとしか思えないほどに。まさか著者の口から「ペイデイ・ローン」という言葉を聞くとは思わなかった。これが何なのかというのは「On Off and Beyond: スーパー高利貸しPayday Loanの存在価値」を見ていただくとして(ちかちゃん業務連絡。URIの方がloanでなくloneになってまっせ。でも直さないでね。permalinkが切れちゃうから)をご覧いただくとして、著者は世界一豊かな国の、世界一残酷な金貸しも見逃さない。

しかしそれだけであればそれほど驚くには当たらない。視野の広さだけ見たら、「The End of Poverty」(貧困の終焉)や「最底辺の10億人」も、本書に勝るとも劣るものではない。

しかし、著者は手腕の細かさまで兼ね備えているのだ。だから貧困を「見た」SachsとCollierには書けないことまで、貧困者に「手を貸した」著者は書けるのだ。フランスの乳製品大手、ダノンとの合弁事業、グラミン・ダノンについて、著者が好んで語るのは、ダノンの130億ドルとグラミン・ダノンの100万ドルという金額ではなく、なんとヨーグルトを入れるカップについてである。

P. 257
 コーンスターチカップはショクティ・ドイを環境に優しいパッケージに変えた大きなステップであった。しかし、私はまだ満足していない!食べられるカップを見つけたいと思っているのだ。子どものたちがそこからヨーグルトをすくった後、完全に食べてしまえるものがいい(アイスクリームをどのように食べるか考えてみてほしい。アイスクリームの次にはコーンそのものも食べられるではないか)。
 そのカップは、さらなる栄養分を供給する。そして、ゴミ処理の問題は完全に解決され、リサイクルも不要だ。誰もが利益を得るのだ。

バンカーの台詞とも思えない。まるでヨーグルト屋の台詞である。

マイクロクレジットと言う。貸付金額が小額であるが故にそう呼ばれているが、小さいのは額だけではない。むしろマイクロクレジットを特徴づけるのは、気にとめるべきディテールの細かさ。著者には、まさにそれがあるのだ。

本書は第一級のノンフィクションであり、マイクロクレジットの父による、第一級のテキストブックである。にも関わらず、本書の読了感は、むしろ最上のフィクション = テキストを読んだときのそれである。著者のディテールへのこだわり故だろう。

その点において、原著も邦訳も、出版社が著者の意を十分汲んだとは言えないのがいささか残念ではある。原著も邦訳もハードカバーである(原著のソフトカバーは年明けに入手可能になる予定)。

P. 350
紙の必要性がなくなるので、木を切る必要もなくなる。「紙」がどうしても必要な場合には、生分解性物質で再利用できる合成の紙を使う。

と指摘するのを忘れない著者を感心させられるとも思えない。本書は確かにハードカバーにふさわしいハードでハイクォリティな内容であり、四半世紀後も改めて読み返すべき本であることを考えると、いちがいに悪いとは言えないが、一工夫欲しかったところではある。

P. 350
 この瞬間も貧しい人は常にいて、貧困は人間の運命の一部であるという考えを、私たちは受け入れている。間違いなく、私たちがこの概念を受け入れているという事実こそ、貧しい人々の存在が続いている理由なのである。もし私たちが、貧困は受け入れがたいものであり、人間の文明社会にそんな場所はあるべきではないと固く信じているなら、私たちは貧困なき世界を創造するために、ふさわしい組織と方針を築きあげるだろう。
 貧困が存在しえるのは、私たちが人間の能力を過小評価した哲学的な枠組みを築き上げたからなのだ。私たちが設計した概念は狭すぎる。ビジネスの概念(利益だけが人間の原動力となる)、融資資格の概念(自動的に貧しい人々を排除する)、起業家精神の概念(人々の大部分の創造性を無視する)、雇用の概念(人間を活発な創造者ではなく受け身の容器にする)。そして私たちは半分しか完成していない組織を作り上げた。現在の銀行システムや経済システムは、世界の半分を無視するものだ。貧困が存在するのは、貧しい人々の能力の不足のためではなく、むしろこれらの知性の失敗のためなのだ。

世界の半分の側にいる一人として、知性の失敗に恥を覚えずにはいられない。

P. 360
 この世界から貧困を根絶することは可能である。なぜなら貧困は自然な姿ではないからだ。それは人の手によって彼らに課せられたものなのである。できるだけ早く貧困を終焉に導き、貧困を永遠に博物館に入れるために、この身を捧げようではないか。

貧困の終焉は、もはや夢ではない。それは遥かかなたにあるけれども、確かにそれはあるのだ。我々がそこに行き着く頃には、私も祖父になっていてもおかしくないだろう。もしその時が来たら、是非孫を連れて行きたいものだ。

貧困博物館に。

Dan the Man in a World with Poverty -- for the Time Being