最近やっと腑に落ちた。

胸をはって好きといえるものがありますか? - Something Orange
だから、賢いひとはよく物事を否定形で語る。肯定する場合も、決して絶賛しすぎないように注意する。そうすれば、柔な自分自身を他人の目にさらすことは避けられる。安全で賢明なやり方だ。

それは賢いのでも賢明なのでもなく、自分が好きになれないだけなのだと。

ちょっと考えてみてほしい。あなたは、なにを通して好きになっているのか。

あなた自身、だ。

好きなものが何であれ、あなたはあなたを通してしか、それを好きになれない。

私もまた、私を通してしか、何かを好きになれない。

だとしたら、自分が嫌いだということは、自分を通すことで、好きが弱くならざるを得ないのではないか。

しかしこのことは、まず自分以外のなにかが好きにならないと気がつくことは難しい。そもそも自我の成立自体、「他」とのやりとりを通じてのものである。「自」の発見は「他」の発見と同義であり、そして眼耳鼻舌身意が「初期設定」においては外を向いていて、色声香味触法もまず「他」となされる以上、先に見つかるのは「他」の方だ。

その意味において、胸をはって好きといえるものがまだない人は、まだ「自」すら見つけていない幼き人々と言ってもいいだろう。賢いのではない。知ったかぶっているだけなのだ。

誤解して欲しくないのだが、それは自分のことを顧みることもなしに「自分が好き」と呪文のように唱えることでは決してない。

何かを好きになるとは、実に疲れる行為なのだから。

自分が好きになるとは、それを楽にする方法でもある。そうであるが故に、体力が有り余っているときにはなかなか気がつかないのだ。

9割冷たくて、1割優しいのがいいんじゃないですか! - Attribute=51
自分が「9割優しい人と、9割冷たい人、どっちがいい?」って聞かれたら、
たぶん「9割優しい人」を選ぶだろうなぁ。

これは弾言できる。9割優しい人というのは嘘である、と。そこまで力がある者を、私は知らない。「優しい」と「人当たりがよい」を取り違えているだけなのではないか。

弾言」 P. 56

ウィンプを名乗る人自身は、どのような人間か

おそらく、自分の実入りはある程度コントロールできるけど、世の現状に憤っている、しかし世の中を変えるだけの力はないと思っている人でしょう。こういう人は自分のことを優しい、思いやりのある人間だと考えているようですが、僕に言わせればそれは違う。面倒なことは他人にまかせて、自分は何もせずに優しいフリをしているだけにすぎないと思います。他人に対して優しくしたいのであれば、まず自分が強くなるのが先決です。人の力で、自分が優しいフリをするなと言いたい。僕にとって、偽善者の定義はそれです。

「1割優しい」というのは、私から見れば充分合格点。要はその1割が自分に向けられていればいいのだから。2割優しいというは、かなりすごい人。3割はもう聖人クラス。釈迦やキリストですら、嫌いとはいわずとも「無視するしかない」ものは多々あったのだから。よってそれ以上は、詐欺師。

他を好きになることで、自が好きになる。

そして自が好きになることで、他を好きになるのがずっと楽になる。

かくいう私も、それを悟ったのは比較的最近である。「解る」だけならそれほど難しくはないのだが、全身で納得するには40年近くかかったことになる。だからまだまだ私の「自愛」はぎこちない。ぎこちないのでかっこよくない。かっこよくないので恥ずかしい。恥ずかしいのでやめたくなる。正直今こう書いている瞬間も、歯が浮きそうになる。

しかしそれでやめてしまっては、好きであり続けることは出来ない。

だからぎこちなくても、かっこわるくても、胸をはって自分が好きだと言い続けて行くことにしよう。いつかはそれが板に付き、気張らなくても自然とそうできるようになることを信じて。

Dan the Man who Loves Loving