筑摩書房松本様よりいつもどおり献本御礼。
松岡正剛の千夜千冊『やくざと日本人』猪野健治日本はこういう本を2、30冊ほど、せめて10冊をもっているべきである。しかし実際には、この1冊しかない。
その著者が、はじめて著した山口組の通史である。凄くないわけがない。
本書「山口組概論」は、今や日本のやくざの二人に一人を抱える、日本最大のやくざ組織山口組の歴史を通して、やくざとは何か、そしてやくざはこの国においてどんな役割を担って来たか、そしてやくざが亡びたらこの国がどうなるのかを書いた一冊。
目次 - Amazonより- 序章 ヤクザとは何か
- 第1章 六代目体制の衝撃
- 第2章 山口組誕生と近代やくざ
- 第3章 三代目と全国制覇
- 第4章 カリスマなきあとの分裂抗争
- 第5章 バブルと暴対法の時代
- 第6章 山口組はどこへいくのか
本書の副題は、「最強組織はなぜ成立したか」である。たしかにやくざの中において山口組はダントツの最強組織である。しかし本書の行間には、それよりさらに一段と強い組織の影が色濃く落ちている。
官憲、だ。
最強の「非合法暴力機関」を「唯一の合法暴力機関」が弾圧するのはむしろ当然のように感じられるかも知れない。が、はじめからそうだったわけではない。戦後まもない1946年には、こんなことさえあった。
P. 78さらにこの年、"解放国民"三〇〇人余が神戸の全警察署襲撃を計画。警察から防衛を依頼された山口組は手榴弾などで武装した抜刀隊を結成。兵庫警察署に立てこもって迎撃したことで、襲撃計画は未遂に終わった。
なんと、警察からも頼りにされていたのである。
本書を読むと、同じ暴力組織でもマフィアとやくざの違いがよくわかる。マフィアにとってあくまで大事なのは自らの組織であり、そのためには判事を爆殺のも厭わないことはおなじくちくま新書の「イタリア・マフィア」に詳しいが、やくざは「体制側」というより「大衆側」につき、時にはそれが自らの首を絞めることになるのも厭わない。事実現在の六代目組長、司忍は自ら獄に下り、現在も府中刑務所に収監されている。
もちろん全てのやくざがそうではない。かたぎを恐喝したりクスリを売りつけたりする、「マフィア的」な暴力団に過ぎないものも決して少なくない。しかし山口組が最強の組織となった理由は、組織維持に必要な暴力を最小化して来たからなのである。平たく言うと、山口組は「非暴力団」化することで強くなったのだ。
それを決定づけたのが、三代目組長、田岡一雄である。
P. 79田岡一男が山口組三代目を襲名したのは一九四六年(昭和二十一年)、三十三歳のときである。須磨の「延命軒」で執り行われた襲名式には親代わりとして国会議員・佃良一も列席した。
田岡一男は、襲名にあたって三つの誓いを自らに課した。
- 組員各自に正業をもたせること。
- 信賞必罰によって体制を確立すること。
- 昭和の幡随院長兵衛を目指すこと。
「外」に対して暴力を公使しなくてもしのげる。これが山口組の成功の秘訣なのである。
それでも暴力を全て廃止しないのは、「内」に対する暴力が残っているから。実際山口組による暴力事件のほとんどは、内部抗争も含む「対やくざ」であった。そして暴力の行使にあたっては、大量動員で一挙に片を付けるという、ランチェスター戦略の基本をとっている。「山一抗争」においても山口組が圧勝したのも当然と言える。
しかし、山口組の正業化と最強化は、「第ゼロ位」の暴力組織、すなわち国家の注目をも引き寄せざるを得ない。「頂上作戦」に年々厳しくなる暴対法。しかしそれを国家がやる以上、山口組ばかりを「えこひいき」するわけには行かない。不況になると小さい企業から倒産していくのと同様、むしろ弱小の暴力団ほど早く根をあげ、その結果山口組は相対的にますます大きくなっていたのは皮肉としかいいようがない。
しかし、それは三代目田岡の願いとは正反対であった。
P. 261<(お父さんは)「どうしたら暴力団がなくなりますかね」と真剣に聞き続けていた。"ゼロ"になれば理想や。ゼロにするためにはどうしたらいいだろう。ゼロにするのは難しいとしても、せめて少なくしたい。そのためにはどうしたら....お父さんは常にそのことを考えていた。
人が増える。組織が大きくなる、喜ぶのが普通だろう。しかしお父さんは「なんでやろう」と考える。うちの組織が大きくなるということは、淋しい人間が増えているということや。おちこぼれの人間がふえているということや>
そう。おちこぼれ。やくざには、「最後のよりどころ」としての機能もあったのだ。
P. 256戦前から日本には、手をつけられない不良息子を、地元の親分に預けて修行させる親たちがいた。宅見若頭は私に「組には愛情があるが少年院には説教と懲罰しかない」と語ったことがあった。
しかし、今や山口組さえ、手をつけられない不良息子を受け入れる余地がなくなってきていると、著者は憂慮する。
かつては、食い詰めたあぶれものが最後に組事務所を訪ねていって、土下座をして「何とか拾ってくれ」という例が実際いあった。山一抗争で、竹中組長を射殺した実行犯のひとりもそうだった。が、現在ではかえって足手まといになると切り捨てられるだろう。
その結果、暴力はますます「素人化」し、ますます予測不可能になるのではないか。
合州国には mob はいても Yakuza はいない。いたとしても映画の中だけだ。「日本人の暴力組織員」をそう呼ぶ場合もあるが、それはただの mob だ。そして100人に1人が、塀の中の住民である。
P. 265山口組が暴対法違憲訴訟を起こした際に弁護団が用意した原告側問書案には次の一節がある。
<任侠道に差別はない。彼ら(引用者注・被差別部落出身者、在日朝鮮人、前歴者)の受け入れを拒否するようになったとき、それはすでに任侠道と呼ぶことはできない>
ここでいう<任侠道>がギリギリの土俵際まで追い詰められている。その問題意識が本書執筆へ私を駆り立てた。
私自身、自分の生い立ちを考えると、いつ<任侠道>の世話になってもおかしくなかったように感じる。実際それらしい誘いの声もなんどかあったように思う。私はやくざな生き方をしてきたけど、やくざではないし、その中がどのようであるかは本書のような書物を通してしか知らない。しかし、そこにあるのが単純かつ純粋な「悪」ではないのは確かなのではないか。
松岡正剛の千夜千冊『やくざと日本人』猪野健治あまりこんなことばかりを書くと、ぼくがヤクザの応援をしているように見えるかもしれないが、実はどこかで応援しているのかもしれない。なぜならそこにひそむ「侠」や「組」の発想は、ぼくがアジアに感じている本質のひとつであるからである。
「侠」や「組」が亡ぶとき、そこに残るのは何なのだろうか。
Dan the Katagi by Luck
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