ランダムハウス講談社常磐様より献本御礼。
前著「まっとうな経済学」より一段とまっとうで、かつ格段に面白い。そして
H-Yamaguchi.net: 人は「予想どおりに不合理」だけど「意外に合理的」でもある、という話併せて読むと面白いのでぜひまとめて。
とあるとおり、「予想どおりに不合理」と一緒に読むと一段と効き目が増す。
本書「人は意外に合理的」は、むしろ「人々は意外と合理的」とするべき一冊。なぜなら、人は合理的なゆえに経済を発達させたというより、経済をとおして人々となることによって合理性を高めていったということこそが、原題でもある The Logic of Life, 人生の理なのだということこそ、本書の根底をなしているのだから。
目次 - ランダムハウス講談社より- 原著まえがき
- 第1章 日常生活に潜むロジック
- 第2章 ラスベガス - 理性の淵
- 第3章 離婚は過小評価されているのか
- 第4章 どうして上司は給料をもらいすぎているのか
- 第5章 居住区にて - 街角で刺されないための経済学
- 第6章 合理的な人種差別の危険性
- 第7章 ギザギザ化する世界
- 第8章 合理的な革命
- 第9章 100万年のロジック
- 訳者あとがき
- 原注
本書を読む際に、絶対見落としてはならないのが、以下の下り。
P. 180いずれにしても、私は合理的であることが、"すばらしいこと"を意味するなどと、一度として断言していない。
この下りは、こう続く。
合理的な選択をすれば、あなたの上司はどんなときにも給料をもらいすぎることになる。CEOはもっとそうだ。さらに、二十人で外食すると、自分が払いすぎてしまう運命を背負わされることになる。
なぜそれが合理的なのかは本書をお読みいただくとして、本書には「黒不合理」とでもいうべき、不正義に潜む合理性がふんだんにとりあげられている。上司の給料などというのはまだかわいいもので、第六章に至っては、「合理的な人種差別の危険性」である。
シニタクナッタ?
でも、ここで諦めないで欲しい。ここで諦めてしまうのは、eiθ = cosθ+isinθにたどりつく前に三角関数でつまづいてしまうのと同じだ。モッタイナイ。
本書のキモは、それでも合理性を高めていくのは合理的であり、そしてそれを可能にするのは人ではなく人々であり、それこそが人類がこれまでの100万年(!)を乗り切って来た秘訣であり、今後の100万年を乗り切るための課題であると主張する最終章にある。
この最終章で著者はマルサスに引導を渡すのだが、その痛快なことったら!
経済学者の未来予測はたいてい間違っているものだが、トマス・マルサスほど世に聞こえるまでに華々しく間違えた不運な者もめずらしい。
マルサスの誤謬がどこにあるのか。ぜひ自分の目で確認していただきたい。
H-Yamaguchi.net: 人は「予想どおりに不合理」だけど「意外に合理的」でもある、という話「合理的選択」なるものは、もっと広い文脈の中でみるべきものなのだろう。「人は意外に合理的」には、「地球は完全な球体ではなくでこぼこがあるがほぼ球体」みたいなくだりがある。行動経済学でよく指摘される「非合理性」はこの「でこぼこ」の部分に相当するというわけだ。人間の選択が経済的要素以外の部分によって影響されるということは、経済的要素だけを取り出してみると非合理的かもしれないが、人間の「効用」(要するに「満足」ってことだよね?)に影響を与えるさまざまな要素を勘案すればおおまか合理的である、と解釈することもできるのではないかな。
いやいや、「地球は真っ平らになった」というのが最近の経済学の主張ではありませんでしたっけ、という揚足鶏はさておき、人はおおまか合理的というより、人々が集い語ることによってより合理的になっていくというのは、人類の歴史に対する合理的な解釈であると実感している。
人類はいつの日か合理的に貨幣経済を廃止するかも知れない。しかし理がある限り経済学もまた残る。どうやら経済学者も、数学者と同じく失業の心配はなさそうだ。
Dan the Economic Animal
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