それで、正しい。

専門家は結論を出せない - レジデント初期研修用資料
専門家がこれからいろいろ話しあって、やっぱりそれで結論が出せなかった分野については、 今度はたぶん、「現場を知らない素人」が集められて、現場の専門家は、その人達の考えかたを押しつけられる。

少なくとも、その逆よりよっぽど。

理由は三つ。

一つ目、専門家の存在理由。専門家は、素人のためにいる。その逆ではない。専門家は、あくまで素人の決断を実現するのが仕事であって、決断そのものが仕事ではない。電球を換えるのは専門家の仕事だが、どこに電球をつけるかは素人たる依頼人が決めること。

二つ目は、責任の所在。決断は責任を伴う。専門家が決断し、その結果として失敗した場合は、その専門家が責任を取ることになる。たいていの場合は、専門からの破門という形で。素人が決断すれば、それが避けられる。もちろんこれは実行における専門家の責任を免責するものではない。専門家としての技量不足や、ましてや背任などは厳しく罰するべきだというのは言うまでもない。が、「これで行きましょう」という言葉は素人に譲った方が、専門家が負わなければならない責任はずっと減る。

そして三つ目。専門家の技量を格段にのばしてきたのは、実は素人の無茶な要望である。

ケネディが「10年以内に月に人を送り込む」と言った時、NASAの中の人々は真っ青になったはず。私が「三ヶ月以内にデータセンターを作れ」と言われた時も真っ青になった。しかしどちらも、素人が責任と費用を負ってくれることで、専門家は「実装」に集中することが出来て、それが実現へとつながった。

今必要なのは、むしろこういった無茶を言う代わりに責任も負ってくれる、大いなる素人なのではないだろうか。

問題は、むしろ決定権を持つ素人が、中途半端にものわかりがよすぎ、それ以上に中途半端にしか責任を負わないことにあるのではないか。あたかも専門家の臆病「風邪」が、えらい人にも感染したかのように。

もちろん、いくら素人だからといって「月まで1秒以内で往復してこい」とかといった、物理学的に許されないような要望を出すのは駄目である。そういう時はなぜ出来ないかを専門家はきちんと納得させる必要がある。しかし、「もしかしたら出来ちゃうかも。でもやっぱやばいよなあ」と専門家の心をよぎるような要望があったら、責任と費用を押し付けた上で、それに乗ってしまった方が専門家としてはおいしいのではないか。

Dan the Responsible Amateur