言葉というのは時代を経るに従ってさまざまな意味を持つようになるのだけど、意味を拡大解釈しない方がよい言葉というのが確かにある。

「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということ - ひがやすを blog
勉強の意味を狭く捉え過ぎていると思うな。

勉強が、それだ。

勉強。努めて、強いる。

なぜこれが、学習の意味で用いられるようになってしまったのか。

「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記
小学校に入学して、真新しい教科書をどっさりもらったときは、ほんとうに嬉しかった。

だからそれは、「勉強」じゃないんだってば。

努めて強いてないんだから。

404 Blog Not Found:勉めなくても強い人々
私は、勉強なるもの楽しんだ事がない。「勉強」という字をもう一度見て欲しい。「勉めて強いる」。これが楽しいと思うのはマゾヒストというものだろう。私はマゾではないので勉強を楽しんだ事はない。私にとっての「勉強」というのは、言葉通り、やりたくもないことをするという以外の何者も意味しないので、「勉強を楽しむ」という言葉は「楽しまないことを楽しむ」という風にしか聞こえない。
404 Blog Not Found:勉強したら負けだと思っている
学習を勉強と称するのは、人生を勉めて強いることにしてしまう。一回こっきり、しかも大して長くない一生を、いやいやそれも人任せにしてしまうなんて最低ではないか。

学習、いや楽習というのは、人生で最も楽しいひとときである。わからなかったことがわかるようになる。出来なかったことが出来るようになる。それを「勉強」とは、満願全席を大便というに等しい。

それでは、本来の「勉強」は不要かというと、大便が人生に欠かせないのと同様に必要である。

404 Blog Not Found:38歳までに知ることになる、22歳の自分に教えてあげたいたった1つのこと
これもそのまま。私にとって「勉強」という言葉はこのためにあります。「学習」は「楽習」なので、勉強よばわりしたくない。
ちなみに、英語の negotiate という言葉の語源、 negotium は古代ローマでは仕事そのものを意味していたそうです。

そう。negotiation。これこそが、本来の勉強。勉強というのは、商談のことなのだ。

「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記
彼らの中には、それこそ研究以外のことはできない人もいる。
しかし、彼らが経験してきたこと、つくりだしてきたもの、そして彼らの能力は、もっともっと評価されてよいと思う。

なぜ彼らが十分な評価を受けていないか。

勉強が足りなかったからだ。

「もっと評価されてよい」?これほど勉強不足な台詞は他にはない。

もっと評価されたかったら、もっと勉強するしかない。

その能力が相手にとってどんな価値を持つのか、相手にわかるよう説明していくしかない。

それこそが、勉強。

日本で高学歴者が敬遠される理由は、彼ら高学歴者が勉強していないからだ。

それどころか勉強という言葉を、自分たちの都合のよいように取り違えているからだ。

研究は、自分たちだけでも出来る。

勉強は、そうではない。自分たちと価値観が異なる人々に、自分たちの価値を認めさせるのが勉強である以上、そこには他者が必ず存在する。

学習や研究や研鑽を勉強と称するのは、自慰と性交を取り違えるようなものではないのか。

Dan the Negotiator