妻が見つけてくれた一冊。
livedoor ニュース - [高校新学習指導要領案]英語で授業…「自信ない」教諭も「使えない英語」から「使える英語」へ。22日に公表された高校の新学習指導要領案は「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と明記した。文法中心だった教育内容を見直し、英会話力などのアップを目指すのが狙い。文部科学省は「まず教員が自ら積極的に用いる態度を見せるべきだ」と説明する。だが教諭の英語力や生徒の理解度はばらつきが大きい上、大学入試は従来通りとみられ、現場からは効果を疑問視する声も出ている。
ちょうどよいタイミングといったところか。
本書「外国語学習の科学」は、副題に「第二外国語取得論とは何か」とある通り、すでに母国語を習得してしまった人が、どうやって外国語を学んでいけばよいのかを、主に日本語を母国語、第二外国語が英語の事例を元に論じた一冊。
目次 - 手入力- プロローグ
- 第1章 母語を基礎に外国語は習得される
- 第2章 なぜ子どもはことばが習得できるのか
- 第3章 どんな学習者が外国語学習に成功するか
- 第4章 外国語学習のメカニズム
- 第5章 外国語を身につけるために
- 第6章 効果的な外国語学習法
- あとがき
本書は今年9月に出たばかりだが、読んでいて塾の講師をしていた時代を思い起こしてむしろなつかしい感じがした。「あ、これやってた」、「あ、こういう『へんな英語』がいっぱい教科書にものっていた」など。残念ながら本書には「画期的な外国語習得法」は出てこないけれども、それだけに本書の知見には実感がこもっている。
それがどういうものかは本書を確認してもらうとして、第二外国語習得に対する著者の立場は以下のとおりであり、私も「かつて英語を教えていた」一人として首肯する。
P. 183第二外国語種極研究はまだ発展途上なので、応用はできない、ということを言う人もいますが、筆者の立場は違います。世の中、わからないことのほうが多いわけで、だからといって何も先人の知恵に学ぶことなく、先へすすもうとするのは時間の無駄です。たとえば、野球だって同じです。自己流でうまくなる人もいるのは当然ですが、コーチに教わったり、他の野球選手が書いた本を読んだり、スポーツ科学的な研究を取り入れる人のほうが成功する確率は高いでしょう。第二外国語習得のメカニズムが100パーセント理解されることは永遠ないと思われますし、それは人間の心の働きのメカニズムを完全に解明することは不可能なのと同じです。だからといって、これまでにわかっていることを無視する、というのはあまり賢いことではないでしょう。
で、本書を読む限りにおいて、そして私の拙い経験から判断する限りにおいて、「英語の授業は英語で行うことを基本とする」のは決して不可能ではないと私は思う。実際私は受け持ちの授業では一切日本語を使わなかったし、それでいて「普通の日本の高校生」レベル以下の生徒が「留学できるレベル」まで上がり、そのうち何人かは実際に留学したのを体験している。
にも関わらず、
Dot Com Lovers: 日本の高校で英語の授業を英語で行うことの愚かさ「あー、こりゃあダメだ」と思わずにはいられません。
という意見にうなずかずにはいられない。
H-Yamaguchi.net: 「英語を英語で学ぶ」必要はあるのか要するに、少なくとも「一部」の英語教師は、英語を教えることはできても英語で教えることはできないのではないか、という不安を抱えているのだと思う。
からだ。いや、仮に彼らが充分英語で教える能力があったとしても、一クラスの生徒数があまりに多くては、現在までに確立されている「外国語で外国語を教える方法」はうまく行かないのだ。
外国語で外国語を教えるときに、最も重要なのは、「クラスが十分に小さいこと」だと私は考えている。これは私見に留まらず、外国語教育で定評がある大学における「公式」でもある。私のドイツ語のクラスでは、(そこにおける第一外国語である)英語は禁止だったが、その一方生徒数は一クラス12名以下に抑えられ、そして授業は週5時間きっちりあり、宿題も含めれば週15時間はそれに注ぎ込む必要があった。これはドイツ語に限らず、外国語はほぼすべてそうで、教員の数が足りなければ受講できずに次の学期にまわされる。当時(20年前)は日本語が大人気で、2年待ち、3年待ちはざらだったようだ。
私が塾で何とかやって行けたのも、クラスの大きさがそれ以下に保たれていたおかげだ。
逆に、この条件さえきちんと守られるのであれば、日本人教員にこだわる必要は必ずしもないだろう。ESL (English as a Second Language)をきちんと学んだ外国人にも門戸を広げてしかるべきだ。しかし、これを高校全体に行き渡らせると考えると...「高等学校学科別生徒数・学校数−文部科学省」によると、生徒数は340万人。教員一名につき3コマ受け持つとしても10万人。あのNOVAが雇用していた外国人講師数の、25倍。これだけの教員を国内外を問わず確保するだけの算段を文科省がしているようにはとても感じられない。
しかし考えようによっては、彼らの人件費を年間500万円として(ちょっと安いかな)、5000億円もあれば、日本の高校生たちの英語力は飛躍的に高まることになる。生徒一人当たり40万円/年。「それだけかける必要があるのか」という意見もありそうだが、私学であれば年200万円はかかることを考えれば(もちろんそこで教わるのは英語だけではないけれど)、これくらいは妥当のようにも感じる。
残念ながら、英語は日本人にとって最も難しい外国語の一つだ。その難しさは本書の第1章にさんざん書いてある。しかしそれは「才能のある人でないと不可能」ということを意味しない。十分な手間をかければそれが可能なことは、私も実例で知っている。
要は本気かどうかだろう。
なぜ、日本人は英語が下手なのか。
無理矢理一言でまとめれば、本気じゃないからだ。
教える方も、教わる方も。
Dan the Nullingual
アメリカの小児発達学の専門家の話では,二言語を取得できるのは 11才ぐらいまでで,それ以降はどんなに頑張っても,あくまで外国語としての取得になってしまうそうです.
アメリカに住んでいるヒスパニックの子供たちを見ていると,彼らは小学校から英語教育を受けているため,流暢に英語を話していてバイリンガルなのですが,やはり母国語はスペイン語です.
「第二言語取得」とは,いわゆるバイリンガルにおける母国語でないほうの言語取得ととらえるべきではないでしょうか.その点からいうと,いまの日本の英語教育では外国語学習の域を出ることはありえないと思います.