所有が幻想であることは、拙著「弾言」でも指摘した。
所有という幻想 - 池田信夫 blog契約理論が教えるように、所有権は将来どのように資源を使うか予想できないとき、その残余コントロール権を特定の人が独占することによって権利の配分を効率化する次善のしくみだ。しかし情報のように共有可能な公共財では、このような所有権は意味がない。「弾言」 P. 173
根源的にモノを所有することはできないのです。なぜかと言えば、人間には寿命があるから。どんなモノでも、せいぜい80年レンタルにしかならないんですよ。
では、我々はどうすれば所有欲から解放されるのか。
皮肉なことであるが、そのために最もよい方法は、「使えきれないほど与えてしまう」ことだと考えている。
それが実際に起こったのが、インターネットの回線。
404 Blog Not Found:「良心」レストランは実在する
- 「お腹いっぱい」の基準は、100MBps/戸
- 2000円/月を切ると、金を払っているという感覚もほぼなくなる(念のために他の住戸の方にもたずねてみたことがあります)。
- うつむきたくなかったら、並ぶ人の腹が破れるまで食わせてしまえ。
10Mbpsと100Mbpsの差は、10倍速という「量」だけではなかった。「一人では使い切れない」ことにより、「目一杯使わなきゃ」という気持ちから解放されるという質的な変化がそこにあったのだ。実際のところ、もし全員が目一杯使ったとしたら末端はとにかく幹線は耐えられないが、ネットの幹線が道路の幹線ほど危機的な状況になっていないのは、プロバイダーの尽力もさることながら、ユーザーの気持ちの変化が最も大きいのではないか。
もちろん、中にはそれでも目一杯使う人々もいて、そういう一部の人のために対策しようかしまいかという声は常にある。しかし今のところはそれに踏み切らなくても上手く行っているのは、全員が目一杯使っていないからで、なぜほとんどの人が目一杯使わないかといえば、彼らが「おなかいっぱい」だからだ。
では、
所有という幻想 - 池田信夫 blog物的な資源も、クラウドのように事前に予約せずに自由に使うことができれば所有権で囲い込む必要はない。
となるか。私はその鍵を握るのは、ネットの回線で出来たことがエネルギーでも出来るかにかかっていると考えている。
残念ながら、今のところエネルギーはそこまで安くなっていない。油はまだ湯水のごとく使えない。いや、実は湯水のごとく使ってきたが、実はその費用は現金払いではなく、環境負荷という形による将来世代へのつけ払いだった。
所有権という「次善」の策を「最善」策に置き換えるために乗り越えなければならない壁が、エネルギーであると私は考えている。この当たりのことは「弾言」第四章をまるまる使って考察したのでここでは繰り返さないが、結論だけ言えばこれは超えられぬ壁ではない。わずか1億5000万km先には、あと50億年は尽きることがない核融合炉がすでにあるのだし。
話を少し引き戻す。所有の耐えられない軽さに気がつく最前の方法は、使い切れないほど所有してしまうことなのだろう。モズの速贄よろしく、使いもしないものを手元に置いておくのはあまり格好のよいものではない。しかし一度は速贄をしてみないと、それになかなか気がつけるものでもないのだ。
Dan the Shrike

核融合炉と書いてあるのは、太陽のことですよ。