「売文」という、せいぜいノキア一社の売り上げにも満たない市場に関しては、これは事実。しかも「現時点においては」という限定付きで。
「内向き」で何か問題でも? (内田樹の研究室)日本はまるで事情が違う。
日本には巨大な国内市場がある。
国内市場限定で製品開発しても、売れればちゃんともとがとれる規模の市場が存在する。
そういう市場が二重の意味で少なく小さくなってきたから問題なのだ。
一つは、フラット化。
「国内市場限定」だと思っていたものが、実はそうでないことを売る方も買う方も知ってしまったのだ。
私がはじめてアメリカに行ったのは1980年代のことだが、その当時ですら、ディズニーランドの七人の小人のお土産は"Made in Japan"だった。今だったらそんな贅沢な品はないだろう。"Made in China"に決まっている。
その国の文化が絡んでいる商品ですら、「国内市場限定」とは言えないのだ。
それでも、「仏像は作れても魂は吹き込めまい」というあなた、甘い甘い。
"Catalyst: Accelerating Perl Web Application Development"というのは、ばりばりの英語本であるが、著者の Jonathan Rockway によると、編集者はインドにいて、ずっとmailでやりとりしていたそうだ。
英語圏は、「限定できるような国内市場」がないところまで来ている。
日本語圏がまだこの分野で「国内市場限定」なのは、むしろ皮肉にも英語圏ほど大きくないのが原因だ。もし日本語圏がもっと広かったら、とっくに日本より安い国に製造が移っていただろう。それでもコールセンターが一部大連に移っているようではあるが。
「内向き」で何か問題でも? (内田樹の研究室)世界標準で製品開発するのと、国内限定で製品開発するのでは、コストが違う。
こうも無知でいられるのが、うらやましい。
違うのである。製品の開発コストというのは、国内限定でも世界標準でもさほど変わりはないのである。ハイテクであればあるほどそうだ。ソフトウェアに至ってはその差はゼロに近い。
コストの差がさほどないのであれば、市場は大きければ大きいほどよい。一番よいのは、世界市場ということになる。そしてこの条件は、フィンランドも日本もアメリカも変わるところがない。
そしてもう一つは、少子高齢化。
ただでさえ「国内市場限定」だと思われていたものがそうでないことがバレているのに、肝心の国内市場は小さくなる一方なのだ。それが去年になって顕著になってきたというのがマスメディアだというのも皮肉なものではあるが、メディアという、ある意味最も内向きの産業ですら、まだ人口減少が本格化していないうちから問題が顕在化しはじめたところに、この問題の深刻さがある。
これは例外的に「幸運」なことなのである。
そう。例外的に「幸運」。
その例外的に「幸運」に頼って生きていられるなら。政治も経済も不要である。この国において後者はとにかく前者が貧弱だった理由もそこにあるのだろう。
だが、わが日本にはせっかく世界でも希なる「内向きでも飯が食えるだけの国内市場」があるのである。
それが風前の灯火となりつつあるのは、今まで見て来た通り。
そこでちまちまと「小商い」をしていても飯が食えるなら、それでいいじゃないか。
そんな小商いでちまちまと食えるのは、実のところ、1/100もいればいいほうなのではないか。
残りは大商いしている人のおこぼれに預かっているというのが実像に近い。
「おまえの言うことはさっぱりわからんね」とアメリカ人にいわれようと中国人にいわれようとブラジル人にいわれようと、私はI don’t care である。
彼らにしてみれば、たとえ私が「もう食うものもありません。なんとかしてください」と言おうと I don't care と言い返せばすむ。それ以前に"I don't understand what you're saying"とわからぬふりをされるのがおちである。"None of our business" はおたがいさまなのだから。
「内向き」でいられるのは、外に向かって体を張っている人たちあってのこと。
大きな国ほど、それがわかっていない人が多いというのは確かなようだ。
Dan the One in Six point Seven Billion
足元を見よ
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