これ、本当だろうか。

若者のクルマ離れ、その本質は「購買力」の欠如:NBonline(日経ビジネス オンライン)
このうち「クルマ離れ」については、若者の消費の多様化や、魅力的なクルマの不在といったことが指摘されてきた。だが、昨今の雇用情勢の悪化を見ると、実は「購買力」が大きな問題であることが浮き彫りになる。「クルマなんてとても手が届かない」という若者が増えているのだ。

ちょっと考えてみた。

で、出てきた結論は、都会と田舎では、車が売れなくなった構造が異なるというもの。

まず田舎の場合。これは確かに「買えないから仕方なく買わずに済ませるか、買っても安上がりにする」というのが事実のようだ。その傍証が、軽自動車の健闘。自販連のホームページ/統計データによると、2008年の普通乗用車の売り上げは前年比93.5%。マイナス6.5%。それに対し、2008年12月軽四輪車新車販売速報によると、軽自動車は前年比98.6%、マイナス1.4%。

普通乗用車でも、車種まで見渡すと、明らかに小型化、廉価化が進んでいる。カローラを再び押さえて首位になったフィットが前年比150%。以下前年比>100%だった車種を自販連のホームページ/統計データから拾うと、ヴィッツ(101.6%)、クラウン(132.7%)、プリウス(125.4%)、ティーダ(104.9%)、ノート(112.7%)、スイフト(111.4%)、マーチ(102.2%)、エクストレイル(113.8%)となった。例外はクラウンとエクストレイルだけ。で、あとは小さいクルマばかり売れている。

むしろ前年比マイナスが一桁ですんでいるという点で、むしろ「意外と減っていない」というのが統計を見た時の印象だ。確かに田舎ではクルマがないと笑っちゃうほど何も出来ない。ニートもワーキングプアも車は必需品。しかし車は走ってくれさえすればいい。そんな構図が統計から見えてくる。

しかし、これは全国統計を見た場合。都会における構図はかなり異なる。都会の方がかえって軽自動車が少ないというのは、クルマに乗っている人なら誰でも体感していると思うけど、なぜそうなっているかといえば、都会ではクルマがなくてもなんとでもなるから。必需品ではないのだ。よって「これだけの生活を維持できてますよ」という、メッセージとしての役割がより重視される。「ベンツを買って丸ビルに行け!」というわけだ。

しかし、この「クルマに託されたメッセージ」の効用が、急速に失われつつあるように感じるのだ。むしろ「クルマを欲しがるのは小学生までだよねー」という、逆のメッセージすら感じられる。それを特に感じるのがギークの世界で、そもそも車の話がほとんど出ない上に、出ても「免許もってません」という人が増えてきているのだ。

ところが、かつてギークというのは大のクルマ好きだったのだ。私よりも年上のギークは、ほぼ全て例外なく車に関して一家言持っていた。FreeBSDの創設者の一人で今はAppleにいるJordan HubbardのZ4に載せてもらったこわ〜い体験は今でも忘れられない。クルマといえばLarry WallのAccordも有名だが、イイ車でもボロ車でも、クルマというものに対する思い入れが非常に強かったのがかつてのギークだった。「神妙な機械」にして「自由の象徴」、それが彼らにとってのクルマだった。

しかし、今日日のギークは、クルマというのは「高くてウザい」ものに成り下がってしまった。東京は特にそれが強いが、この傾向は全世界的なものだというのは、毎年ギークたちに宿を提供している者として強く感じられる。

だから、仮に景気が回復しても、先進国の人々、特に若者がクルマに戻ってくることはあまり期待しない方がいい。彼らはもうクルマに「単なる工業製品を超えた魅力」を感じてはいないし、これからはもっと感じなくなるだろう。徳大寺有恒間違いだらけのクルマ選びを2006年で辞めたのは大正解だった。もはやクルマを選ぶことそのものが間違いな時代なのだから。

Dan the Good Old Driver