確定申告の季節がもうすぐやってくる。というわけで2008年分の支払調書を仕分けたりしているのだが、今回はその数に圧倒されかけている。
なぜそうなったかといえば、本blogの書評を広告に使いたいという出版社がものすごい増えて、使われる都度謝礼を頂けるようになったから。一年分まとめて来るところもあれば、都度レポートを送ってくるところもある。いずれも数万円から多くてもぎりぎり二桁。塵も積もれば山となるで、全部あわせるとAmazonやAMNのような大口にひけをとらなさそうな勢いだ。
で、レポートのコピペの問題。
なぜそれがダメかというのは自明なのだが、ときどき「最小限の労力で最大限の価値を得ているのだからいいじゃないか」という勘違いが見られるので、まずはそれがなぜダメなのかあらためて考えてみる。
「最小限の労力で最大限の価値」というが、これ、誰にとっての価値だろうか。レポートをコピペする場合、それは「自分にとっての価値」ではなく、「提出先にとっての価値」ということになる。提出先にとっての価値が問われる場合、コピペも確かに悪いとは言えない。何かを相談された場合、自分の意見をひねり出す代わりに「アインシュタインはこう言っていた」「ポール・グレアムはああ言っていた」という具合に権威者の意見をもって返答に代えるというのは誰もがやっていることであり、悪いことどころかむしろ自分の意見しか言わない場合より適切だったりする場合も多い。
が、読書感想文から卒業論文まで、教育上の過程で提出を求められるレポートで追求されるべき価値は、執筆者自らにとっての価値である。その価値とは、それを書くことによって自分が何をどれだけ学んだかということになる。価値があるのは、結果ではなく過程なのである。
レポートのコピペがダメな理由というのは、結局のところダイエットやフィットネスを他人が代行できない理由と一緒なのだ。いくら代行してもらっても、自分がやせたり健康になったり筋肉がついたりすることはないのだ。
それだけの、ことである。
だから、
レポートコピペ問題の問題 - Ohnoblog 2「ネットからコピペしても必ずわかるよ。特徴的な単語でググれば一発で出てくるから。これまでそれで何件も見つけたよ。いい?必ず見つけるからね?絶対やるんじゃないよ? 授業で書いてきたことをもうちょっと丁寧に膨らませて書けばいいんだからね。
という、「見つけたら罰する」という他動的アプローチは、ダイエットを代行してもらった人を罰するのと同じぐらい不毛なのではないか。代行してもらった時点で効用を捨てているのである。わざわざ人様が記帳な時間を使って罰し直すまでもないはずだ。
むしろ、「いくらでもコピペして下さい。コピペかどうかはこちらでは一切吟味しません。あくまで内容だけを採点の対象とします。社会に出てからのコピペレポート発覚のダメージは単位を落とす比ではありませんが、そういう社会人になったとしても当方は一切の責任を負いません。社会人になってから仕事で破滅したい人は、どうぞコピペしてください」とした方が利くのではないか。さらに「実はもっとてっとり早い方法があります。本校を退学してディプロマ・ミルから学位を買いましょう」と追い打ちをかけるのも悪くなさそうだ。
で、話は今年の確定申告に戻る。
私にとって本blogのentryというのは、「教育の過程におけるレポート」そのものである。あくまでも私の「脳フィットネス」としてやっている。今では4桁にもなる書評entriesも例外ではない。だからこそ、支払調書の山ができることになったのだろう。もしこれがコピペだったらそうはならない。わざわざお金まで払ってレポートを使う方の目の鋭さは、教官とは比較にならない。コピペがばれたら、単位どころか損害賠償ものなのだから。
しかし罰が恐くて「オリジナル」を書けるほど私は勤勉ではない。怠惰な私がこれほど多くのentriesを上げられたのは、「レポート」を書くのが楽しかったからだ。それを書く課程で自分が成長している実感を得ているからだ。それに対して代価を支払うどころか報奨金まで出るのだから幸せ者だと自分でも思わずにはいられない。
それでも剽窃する奴はいる、というのは確かだろう。しかしコピペがしやすくなった以上に、コピペがばれた場合のダメージもまた大きくなっているのである。昔だったら人の噂も七十五日だったが、今ではblogでさらされ、検索エンジンにインデックスされ、[これはひどい]とブクマされ、とどめに魚拓をとられたりするのだ。懲役三ヶ月だったものが無期懲役になったようなものである。
剽窃に対する罰を与えるという点において、娑婆の方が教室より遥かに優れているというのは確かならば、それは娑婆にまかせてしまって構わないのではないか。教室は娑婆では味わえない体験を得る場であって欲しい。
ところで、まだ支払調書が来ていないところがいくつかあるようです。まだ出していないところはお早めにお願いしますm(_._)m
Dan the Dropout
P.S. いきなり100kgのバーベルが持ち上げられないのと同様、「脳フィットネス」もいきなりやると脳を壊すのではないか。小学生に読書感想文というのは、それに近い無理を感じる。
See Also:
大学に行った人たちは、4年間かけて学び方やレポートの書き方を身に付ける機会を手に入れます。
その機会の中で、コピペで書いた人たちは「レポートを書式に則って仕上げる」ことを覚え、自力でレポートを書いた人たちは「自分の見解をレポートに仕上げる」能力を身につけることができるわけです…が。
この手の、どこまで真面目に取り組むかが本人の目的意識に左右される問題については、ムチより飴の方が効果的なんじゃないかと。
コピペは後々の身の破滅を呼ぶぞとか脅す(脅しじゃなく真実だとは思いますが、学生には単なる脅しに聞こえるでしょう)より
レポートを自力で仕上げた先にどんないいことが待っているのか、今ここでの努力が社会人になってどういう実を結ぶのかを教える方が、目ぇ輝かせてレポートを書けるんじゃないかと思います。
もちろんこの方法で全員がコピペから自力書きに改心するとは思いませんが「今やっていることの延長をそのまま社会でやることになって、それが自分の評価につながるんだ」という、社会人予備軍の自覚を育てるためにも。
上記は奇麗事かもしれませんが、少なくとも
> 〜とした方が利くのではないか。
> 〜と追い打ちをかけるのも悪くなさそうだ。
というのは教育ではなく、コピペしないレポートの提出という使役をさせるための姿勢ですよね。
同じ「忠告はするけどどうするかは本人任せ」なら、コピペした時のダメージは教えるけど本人任せよりも、コピペしなかったときの見返りは教えるけど本人任せの方がはるかに、人を伸ばす姿勢として適当ではないかと思うのです。