いつもの内田節なのだが....

大学はどうなるのか (内田樹の研究室)
しかし、大学に30年いてわかったことは、教育については「あらゆる教育プログラムが滑らかに進行し、学生たちの顔が知性と歓喜に輝いていた“教育の黄金時代”をもう一度甦らせよう」というタイプの「物語」が教育者を「やる気」にさせる上でもっとも効果的であるということである。

ふと「それではなぜ大学運営はビジネスライクになったのか」と考えたら、呆れるほど散文的な答えが出てきた。

tuition-1980-2005

それが、右のグラフ。1980年を100として、国立大学の学費、私立大学の学費、そして実質GDPがどのように推移したかを表している。元となった数値は以下から入手した。

一目見てわかるのは、大学の学費が、GDPの成長を終始上回る速度で肥大していったこと。経済規模も1.8倍になったけど、私立大学の学費は2.3倍、国立大学に至っては3倍になっているのだ。

これでは、そこに投資した学生や父母や保護者たちが、「ちゃんと元を取らせろ」という圧力をかけるのはは必然だというのは、大学生どころか小学生にもわかる理屈だ。

大学はどうなるのか (内田樹の研究室)
大学を存続させる力は「世間がなんと言おうと、こういう教育を行いたい」とつよく念じるモラルの高い教職員たちのオーバーアチーブである。

実際に起こったのは、オーバーアチーブではなくオーバープライスだった。高いのは教職員たちのモラルではなく、学費というオチだったわけだ。

しかしわからないのは、なぜ四半世紀前の三倍になったかということだ。それまでが安過ぎたのだろうか?それとも効用が三倍になったのだろうか?この春卒業予定の Class of 2005 は、 Class of 1981 の三倍「できる」のだろうか?

大学はどうなるのか (内田樹の研究室)
そうではなくて、「むかしはうまくいっていたのに、いつのまにすっかり堕落してしまった“教育の黄金時代”にもう一度還らなければならない」と考えるのである。

まずは学費を“教育の黄金時代”に戻したらいかがだろう。そうすれば、少なくとも「こんなに学費を払っているのだから、見返りをよこせ」という圧力は劇的に減るはずである。無料にしてしまえばなおよい。教育の出来不出来を価格の多寡で推し量ろうというインセンティヴもゼロになるのだから。

そういえば、米百俵ってどこいっちゃったんだろう?

Dan the Free Learner