本日届きました。

魔窟04

本の雑誌の名物連載、「世界の魔窟から」の第四回目の魔窟として拙宅が紹介されているのでお報せします。

「魔窟」というのは、本に埋もれた部屋のことを指す訳ですが、私のそれは今までの魔窟の中で一番蔵書数の少ない方だと思います。「ミステリ交差点」の日下三蔵さんなんて、部屋が魔窟どころか住まい全体が魔の山ですから。ああ、もっと魔人になりたい!

ところでこの「本の雑誌」、最もWeb化に適した雑誌だと思います。ノンフィクションの書評は今やblogosphereではもはやレッドオーシャンですが、本の雑誌が強いのはフィクションでブルーもいいとこですから。このあたりの詳しい話は、是非本誌で。

この取材、実は去年の大晦日に行われたのですが、取材後にそのまま宴会突入というわけで、おかげで本の話、それもSFの話でずいぶんと盛り上がりました。凄いうれしかったです。

その取材をした浦さん、実は前職が海上保安庁。なんとそこでPerlを駆使して海に投げ出された漂流社を見つけたことがあるそうです。あまりに面白かったので紹介させてと頼んだところ、OKが出たのでこの場を借りて掲載させていただきます。なぜ「本の雑誌」に転職したかは、未だに謎ですが(笑)。

Dan the Interviewee Thereof

そのスクリプトが人命を救う

浦高晃

ぼくはその昔海上保安庁というところで、海に落ちた人がこの後どこに流されるのか、あるいは逆に、流れついた漂着物がどこから流れて来た物か。という事をシミュレーションする仕事をしていた。いちいち説明できないけど、そればっかりでもなく、他にもいろいろしていた。

そのぼくらが手がけるシミュレーションの結果を元に捜索範囲が決定されるのだ。人命がかかっているわけで、迅速さと精度の両方が要求される仕事だった。けれど、実際には海に落ちて助かる人はまず居なかった。海難事故はいつ発生するか分からず、勤務時間外に事故が起こるとかわりばんこによびだされたりした。

シミュレーションというと聞こえがいい。本庁の漂流予測計算サーバにデータとして事件の発生場所、時間などなどを打ち込み、その結果をグラフィカルに何時間後の可能性分布図みたいに表示させることができる。しかし、そこに集約されているデータは普段、各管区本部で自分たちが集めてクオリティをチェックして送っているてるデータで、今の流れがどんな具合かの最新は実はスタッフの頭の中にある。海流というのは地域ごとの独自性がつよいもので、季節による変動もあり、常にデータを見ている人が一番くわしくなるものなのだ。ぼくなんかはずっと入出力にCGIのサービスがつかわれるようになってからだったけれど、昔はある程度の根拠をもとに、海図の上に担当官が線を引いてたものだし、先に頭の中に予想図が出来て、それに沿うような結果が出なければやり直すことの方が多かった。このころは風向きの変化を気にすべく自主的に毎日天気図を見ていた。

この時の事はよく覚えている。何しろぼくが関係した事故でただの一回、要救助者が生きて帰って来た事故だからだ。そしてこの次の年度からは配属替えでぼくはこの担当をやらなくなったから助かったのに遭遇したのは本当にこれが最初で最後。この時は朝のニュースで熱気球で太平洋横断に挑戦する〜、なんてニュースを見て、その次点でこの後天気が悪くなっていくのじゃないかと少し気にかかった。そしたら案の定、夜の8時か9時を過ぎたくらい、そろそろ帰ろうかという頃合いに、警備救難部の方から漂流予測の依頼が来て、歩いても通えるところに住んでるぼくが帰らないことに決まった。より正確には落ちた情報はもっと早くに入っていたのだが、衛星携帯電話を持っているし、GPSで位置が分かっているということで、そんなに緊迫した雰囲気はなかったのだ。けれど、途中から通信ができなくなり、最後の通信では、浸水が始まっていて不安とか早く助けに来て欲しいというやりとりがあったというメモをみた気がする。

しかし、落ちた場所が日本から1600キロとかいうところで、足しげく船舶が航行しているわけでもないので海流のデータも風のデータもほぼ無いに等しい。

(説明するまでもないと思うけれど、漂流物の行き先というのは、風と海流の二つのベクトルの合成で決まるのだ。ついでにいうと、漂流物の海上に出ている部分と海面下に隠れている部分の比率も関係しているので、その比率が分からないものの予測は難しい)

そんなヘンなところは数十年分の緩やかな統計を元に緩やかに、東向きとした資料があるくらいだった。

風のデータにしたって日本沿岸ならこれまでの観測値の他にも気象庁から自動的に届いて更新されていく、数日間の予報データも入っているのだけれど、そんな遠く離れたところのデータはない。

ぼくはこの係(こういうこともする係)を新潟で2年間担当したあと、横浜に転勤して来て1年が経とうとしていたころ、(日本海側と太平洋側は流れのくせも相当違う)トータルで3年に近い経験がありもはや新人ではないし、担当範囲も広く通行量も多く一番事件事故の多いところで、1年間やって来たという自負もあった。

東京湾の外で起こる事案なら、それなりに自信があったのだけれど、(東京湾内は潮汐の影響もあって複雑なのだ)事故発生現場はもはや日本でもなんでもない。この条件ではなんとも計算の出し用がない。こんなに不安なこともなかった。しかし、やらないわけにもいかないのだった。

この漂流計算システムの良く出来たところは、手元で作ったデータを食べさせると、サーバに登録されてるデータよりも、手元のデータを優先的にして、計算させることが出来るところだった。これは、もっと狭い範囲などで現在捜索中の巡視船艇が集めたデータを追加して、最新のデータを元に計算させる為の仕組みなのだけれど。

とにかく、もはや黒潮続流があるのかどうかもわからんところだけれど、おそらく海流の強さと方向は過去のゆるやかな統計データをもとに、これこれと仮定して、風向と風力については天気図の等圧線の傾きと幅からえいやっと決定した。さらに風のベクトルについては、今後の変化も織り込んで、かなり大胆に時間で変化していくようなデータを作った。

この計算サーバに一時的に食わせるデータの形式はカンマ区切りテキストなのだ。そして、こんなこともあろうかと思って開発しておいた、わずかなデータを拡大させる(同じベクトルデータで緯度経度が東西南北に拡大される)スクリプト等を駆使して風も流れも全然、現場の値でもなんでもない。ねつ造といわれてもしかたのないようなデータを元にした計算結果を提出した。(もちろんいくバージョンかのデータを元に計算させて、一番妥当なものを提出したのだ)

この結果を元に、管区本部に置いて、事件事故の指示をだす、運用司令室というところのリーダーが捜索範囲を決定するのだ。

この時の救難課長(現場から叩き上げてきた人がつく、陸上勤務では一番過酷かもしれない役職だ)は忘れもしないHさんという人で、この人が在任中に数年掛かりで、海難時の捜索に海上自衛隊の航空機と直にこちらの司令室とやりとりが出来るような枠組みを作って来たのだ。確かこれはそれの枠組みが出来た直後(翌月か翌々月とかかな)の案件で、そんな日本から遠くはなれた海域の捜索では自社の航空機はろくにとんでいられなくって、確かこのときも最初に気球のコンテナを見つけたのは海上自衛隊のP-3Cだった。

そして、一番近くにいた民間のタンカーか何かが救助してくれたんだったと思う。まだ、救助されてないのに。3時だか4時だかにどこかの新聞社のWEBページには救助されたとかかれて、慌ててプリントアウトをもって司令室に上がってどうなってるの? と確認しにいったりした。たしか、新聞社の方で直に民間の船に電話して記事を書いたようだった。こんなニュースが出た後にもし助からなかったら、困ったことになると思った。

でもって、このときの風から何から自分で作って食わせたデータでの結果はじつは発見された時間の予想の中心点と10キロもずれてないような、当たり過ぎにも程があるような結果で(普段データのあるところだって、そんな精度ではでない)その晩に一緒に居た以外の人、例えば、翌朝出て来た上司なんかには、結果聞いて作ったんじゃないの? と冷やかされるくらいのものだった。けれど、誇らしかった。

とにかく、その新聞記事には太平洋横断に挑戦していた冒険家が海に落ちたが、海上自衛隊の航空機が発見して、日本郵船かなにかの船が救助したとか書かれて海上保安庁がどうしたとは書かれてなかった。それは良く覚えている。

実際には最初の方では電話がつうじてたわけで、ぼくが担当しなくても、この遭難者は助かった可能性は非常に大きいと思う。Hさんの業績も大きい。だけれど、ぼくは自分が関係して助かった初めての案件だと思う事にしていた。