PHPエディターズ・グループ石井様より献本御礼。

まさかの出版社より、まさかの再訳。

ショウペンハウエルの読書論をまだ読んでいない人は、読書しているとは言えない。それを読んで「ぎくっ」ってなったことがない人も、読書しているとは言えない。

そしてそれに反駁できない人は、ショウペンハウエルを充分知っているとは言えない。

一冊でそこまで読めるように本書を編んだPHPの編集のすごさがわかる一冊。

本書「読書について」は、哲学者というよりもむしろ読書家批評家として有名な著者の、そのまさに「読書について」を再訳、再編したもの。

ご存知のとおり、[読書について」はすでに何度も訳されている。最も有名なのは岩波文庫版であろう。未だにAmazonで1万位より上にあるロングセラーであり、ロングセラーであるにはわけがある。

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 本ばかり読んでるとバカになる
ショウペンハウエルが「読書について」でいいこと言っている。読書は他人にものを考えてもらうこと。だから本を読むことは他人の思考過程をたどっているだけであって、自らの思索の自由を阻めることになる。書物から読み取った他人の思想は、他人の食い残し、他人の脱ぎ捨てた古着に過ぎない。ヒマさえあれば本に向かうという生活を続けて行くと、精神が不具廃疾になるという。

ショーペンハウエル本人の筆先は、さらに鋭い。

P. 40
自分の考えを持ちたくなかったら、
一番確実な方法は、一分でも空き時間ができたら
すぐに本を手に取ることだ。

「それってなんてダンコーガイ」って思いました?あるいは

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 本ばかり読んでるとバカになる
平積み新刊書だけで自称読書家、ノウハウ・ハウツーといった言葉に弱く、ブックマークは満杯で、<あとでよむ>は読みきれていない。「買っただけ」で満足しているオナニストと、「読んだだけ」で満足しているオナニスト――そんなわたしにとって、この簡潔鋭利な箴言はかなり深いところまで刺さった。

もったいない。それでは「読書について」を半分しか読んだことにならないんですよ、実は。それでも充分ではあるし、充分にとどめておいた方がショーペンハウエルの価値はむしろ高いのかも知れませんが。

ショーペンハウエルがいかにして簡潔鋭利な箴言を得たか。

母、なんですな。

今ではあまり知られていないけど、実はアルトゥール・ショーペンハウエル (Arthur Schopenhauer)の母ヨハンナ (Johanna) は、当時は息子よりずっと「ビッグ」だったのですよ。

P. 204
ショウペンハウエルが三十一歳(千八百十九年)の時、主著『意思と表層としての世界が刊行された。しかしこの本はまったく売れず、初版の大部分は断裁の憂き目にあったが、母ヨハンナの著作は飛ぶように売れたのだという。以前から折り合いの悪かった母子の溝は深まる一方で、二人は結局千八百十四年以降、終生あうことがなかった。

さあ、今度はこの文脈をもう一度当てはめて、「読書について」を読み返してみよう。本書でも岩波文庫版でもどちらでもけっこう。イメージが180度かわってしまわなかったか?「なんだ、負け犬の遠吠えだったのか」、と。たとえば勝間和代 あたりはこれで溜飲を下げたのではないか、と。

もしそうだとしたら、今度は私は全力でアルトゥールを弁護しなければならない。

確かに、ショーペンハウエルの舌鋒の裏には、母との確執、いや、もっとはっきり言ってしまおう、母への嫉妬がある。ファンには申し訳ないけれど、それは否定しようがないのではないか。しかし、それだけではなぜヨハンナの著作が忘れ去られた今、アルトゥールの著作がこうした再訳されるほどの価値を持つにいたったのかがわからないではないか。

アルトゥールは、それを乗り克えたのだ。

P. 12
学者とは、本で読んだ知識を
もっている人のことである。
しかし思想家、天才、
世界に光をもたらす人物とは、
世界という書物を直接読んだ人である。

「読書について」は、そう、実は世界という書物の読書録なのだ。

そのことが、読書にそれほど慣れていない人にも読めるように編まれているところが、本書のすごさであり、PHPのすごさである。率直に言って「読書について」を再訳・再編するのがよりによってPHPかと感じた人は少なくないだろう。「品格本」を「本家」より売ったおまえがやるなーっといったところか。しかし、岩波文庫版より本書の方がはるかに読みやすいのは間違いない。同量の読書力ならより深く読め、同じ深さを読むためにより少ない読書力ですむのは間違いない。

著者自身、こう書いている。

P. 82
素材がよく知られた陳腐なものであればあるほど、
読む価値の多寡に著者が貢献する度合いが高い。
例を挙げるなら、ギリシャの三大悲劇作家は
全員が同じテーマを取り上げている。

「著者」に「編者」を加えれば、本書の価値があらためてわかるのではないか。

それにしても、著者が今本書を読んだら、どのような反応を示すだろうか。それだけは、いかなる読書の賢人であっても読むことは出来ない。それだけが、ちょっと残念ではある。

Dan the Bookworm