『言論の質」って何が決めているのだろう。
書くことの難しさ ネットの言論はなぜ質が低いか?インターネット-最新ニュース:IT-PLUS新聞に比べるとネット言論の質は低い??。もはや一部の新聞社幹部や研究者ぐらいしか言いそうもないことをあえて指摘してみたい。
「何だろう」でなくて「何が決めているのだろう」というところに注意して欲しい。そちらであれば
POLAR BEAR BLOG: ブログの「質」って何だろう。よく「ネットの世界は玉石混淆」と言われ、個人的にもそうだと思うのですが、果たして何が「玉」で何が「石」かハッキリと分けられるものでしょうか?明らかな偽情報や、悪意のある誹謗中傷は別にして、ある人にとってはゴミのような話でも、別の人にとっては非常に価値のある話だったという場合があるでしょう。
をはじめとする意見がすでに上がっている。
ここでは、あえて
- なぜかはわからないけど、参加者は情報の質のよしあしを「見ればわかる」
ということを仮定しておく。「質とは何かは一言で言えないけど、良いか悪いかの判断はなんとなくつく」というのが「質」というものに対するラフコンセスでもあるようだし。
話をわかりやすくするために、ここでは「物理学」だけを議論する「場」を考えてみよう。さらに単純化して、そこには一人だけアインシュタインがいて(アインシュタインが嫌いなら、プランクでもボーアでも湯川でもファインマンでも好きな人を入れてください)、残りはすべて素人だとする。この場における言論の価値は、何が、いや決めるか。
素人か。アインシュタインか。
アインシュタインに、決まっている。
なぜならば、参加者はアインシュタインの質の言論を「発する」ことは出来ないが、それが素人の言論より「いい」ことは「わかる」からだ。
素人が10人だろうが10万人だろうが10億人だろうが、そのことは変わらない。
言論の質は、mostではなくbestで決まる。
言論の質を問うのに、平均をとっても意味はないのだ。まずそこを抑えておきたい。
それでは、素人が切磋琢磨することには意味はないのか。
そんなことはない。多いにある。しかしそれは「良い文章」をもっとたくさん供給するためではない。今言ったように、言論の質は、その言論の場における最高が決めるのだから、たとえ改善されたとしても以前最高に劣る言論をいくら供給しても上がることはないのだ。
むしろそれよりも大事なのは、最初の仮定、すなわち「なぜかはわからないけど、参加者は情報の質のよしあしを「見ればわかる」」を維持、もしくは獲得することにあるのだ。なぜベストでないあなたが書くべきなのか。そのことを通して、あなたが「何がベストなのか」を表明し、そのことを通して「言論の場」におけるベストがどれなのかをはっきりさせることなのだ。
Googleがなぜ成功したかといえば、こうした「ベストではないけどベストがわかる」「識者の視線」の自動判別に成功したからだ。「素人が10人だろうが10万人だろうが10億人だろうが、そのことは変わらない」と言ったが、それは「ベスト」を見つける時間が無視できるほど短い場合であって、実際のところ言論数が増えればそれだけ「ベスト」を見つける時間は増える。言論の本「質」は変わらなくても、「質/時」が下がる。Googleはこれを防ぐ仕組みを見つけたのだ。
しかしそれがうまく行くのは、「識者の視線」の質が充分高いときである。そうでなければ「ベスト」と「ベスト・ルッキング」の不一致がおこる。「404 Blog Not Found:「PHP使いはもう正規表現をblogに書くな」と言わせないでくれ」における問題提起が、まさにそれなのだ。元発言の質は、良い悪い以前に「間違っている」。しかしその simply wrong な発言が、「ベスト・ルッキング」、いや best being looked であるが故に、「最初に見るべき言論」と Google は判定してしまうというわけだ。
言論とは、言葉を発すること、だけではない。リンクすること、ブクマすること、いや、時にはシカトすることすら、言論なのである。誰かの目に入る行動は、すべて言論なのである。
そのことをふまえると、言論の質を高めるインセンティヴは、マスメディアよりネットの方がずっと高い。マスメディアでは部数だとか視聴率だとかっといった「マスな視線」しかわからない。ところがネットであれば、私のようなたかが個人に対する「視線」さえ、キーワードごとにわかる。
「blog」で一位、「本」で一位、「perl」で一位。「プログラミング」で一位。早い話、これらの話題に関する(はてな村における)言論の価値は、なんともはや、私が決めていることになるのである。いや、正確にはそう「見られている」のであるが、そこで「見るな」というのと「見るにたえるようにしよう」かで、質がもう一段上がるかどうか決めるように感じている。
2009-03-27 - ガ島通信まずは参加している学生の皆さんに、書くことの楽しさと厳しさを知ってもらうところから始めようと思います。
では、私から一言。
書くのは難しくない。見られていることを知ることに比べれば。
Dan the "Alpha" Blogger, whatever Alpha Means
それを"Best"だとわからず、他への理解や知の共有を割け、自分の意見や
それと同様の考えにだけ同調するもの、つまり『愚者』の存在については
触れていないのは何故だろうか。理性を以て抑止をしても、愚者へと陥る
私であるが故に、是非とも意見を伺いたい。
>「名無しさん」さんへ
言質(げんち)とは、言論の質の意ではなく、"後の証拠となる言葉"の意で
ある。私の神経質が気に障ったのであれば、無礼をお許しいただきたい。
最後に、僭越ながら私の意見を。
「言論の質は、発する者ではなく、受ける者に依存する」
言を発する事を畏れぬ理由があるとすれば、私は素人か、それとも
アインシュタインか。それを決めるのは私ではないからだ。