これ、実は不合理に見えてちっとも不合理じゃない。

不合理の敗北 - コトリコ
それでだいたい2ヶ月くらい俳句に費した。普通ですと2ヶ月くらいじゃクソみたいな俳句しか作ることが出来ませんけど、僕は無駄に俳句が上達した。

本当に不合理、すなわちどのような理をもってきても「理に合わない」だとしたら、上手下手もなくなってしまう。「この先はいくさに似てるむぎ畑」が「あああああ ああああああああ あああああ」や「んんんんん んんんんんんん んんんんん」よりも「上手」であることが成立するためには、何が上手で何が下手かを判定するもの、すなわち「理」あることになってしまう。id:kotorikotoriko と 404 Blog Not Found:javascript - prototype Haijinに差があることを認めたかったら、自らが合理的であることも認める必要がある。

今は悪いことをする人は本気ですし、警察も本気です。これじゃ全然面白くありませんし、とてもガッカリですね。
しかしながら、不合理可能な平等な世界になれば、悪いことする人は始終半笑いで、警察は全員西部警察みたいになって、車やらなんやらがボッカンボッカン爆発するけど、悪い人はスタントマンだから生きてるみたいな感じだと、犯罪をも楽しめる世の中になります。

これも実は同様。警察と西部警察の違いは、「どれだけ合理的」かではなく「どんな理を追い求めているか」の違いであって、どちらも理と利を求めているのは間違いない。西部警察が求めている理はまずスポンサーで次が視聴者。だから日産の車しかボッカンボッカン爆発しない。トヨタやホンダやロールスロイスがぼっかんぼっかんなれば私も面白いと感じたのだろうけど、西部警察はあまりに合理的、いや理がすなおすぎてつまらない。でもあれくらい合理的だから、面白いと受け取る人が多いのだろうとむしろ納得する。

そうやって考えていくと、ヒト以前に生き物が悲しいほど合理的であることにいやがおうでも気がつく。生物は真のランダムを嫌う。というより、ランダムでないものをメシにして、よりランダムなクソをするのが生物なのだから当然といえば当然かも知れない。

我々は、哀しいほど合理的な生き物だ。真にランダムははずの夜空の星の並びに物語を見いだしてしまうほど。我々が出来るのは、せいぜい「どの理」がいいかをえり好みする程度のことであって、非合理そのものを選ぶことすら出来ないのだから。

Dan the Rational Blogger