そう来ると思った。
Dan Kogai氏がやばいと思うただ二つの理由 - Keep Crazy;shi3zの日記ケータイサイトは約10年も前からケータイだけで作れる。
魔法のiらんども知らないのか。
では、「魔法のiらんど」はどこで動いているのか。
ケータイの中ではない。あなたも私も知らない、ドコモのサイトのどこかである。
その意味において、ケータイサイトをケータイで作るというのは、vt100でVAXのプログラムを書いていた30年前と本質的に変わらない。そこには確かに「作った」がある。が、「作ったもの」がどう扱われるべきかを決めるのは、「作った人」ではなく「場を用意した人」に最終的な決定権がある。いくらVAXの中にあるプログラムが「あなたのもの」でも、VAXの電源を落とされたらあなたには手も足も出ない。
Doblogに書いたblogがいくら「あなたの作品」であろうとも、
Doblogのサービス終了のお知らせ | お知らせ | NTTデータ復旧作業の終了を受け、今後のDoblogについて検討した結果、Doblog開設時の目的である、ブログシステムを構築するための技術的知見、およびコミュニティサービスを運用・運営するためのノウハウの蓄積については十分に達成できたものと考え、サービスを終了するという判断をいたしました。
と言われてしまえばどうしようもないのと一緒だ。
ケータイとネットブックのやばさが、そこにある。
ケータイとネットブックで「作る」というのは、小作農であることを受け入れることなのだ。
かくいう私も、「小作農」の一人でもある。本blogにしてから livedoor blog というブログサービスを使っているし、そこから収益を上げているのは、Amazonをはじめとするアフィリエイトプログラムだ。ほとんどの場合において、「小作農」と「地主」の利害が一致しているので長らく続いているが、地主の胸先三寸で農地を取り上げられることも私は承知している。実際本blogにはかつてGoogle AdSenseも貼ってあったのだが、Googleにより一方的に破棄された。理由は今に至るもわからない。Doblogのサービス終了は確かに身勝手ではあるが、それでも理由が説明されているだけましに感じる。
小作農を受け入れるのは、確かに楽なことである。大昔のようにいきなり荒れ地に放り出されるわけではなく、それどころか完全に整備された圃場を貸し与えてくれるのが当世の地主だ。自分のしょぼい畑に比べて、なんとまぶしいことか。私は自分のメールサーバーを自ら管理しているが、gmailにしてしまえればどれだけよいことだろう。
それでも、地主は地主であり、小作は小作であることは変わらない。いざとなったらいつでも土地から追い出されるということは、1000年前も今も変わらない。
私が小作を続けている理由は、小さくとも自分の「土地」を持っているからである。いざとなったらそれでしのげるという安心感があるからこそ、普段は小作で楽をしているのである。
現状を肯定することで、人は安心できるが、それと同時に進歩をやめてしまう。
現状の肯定は未来の否定に繋がり、やってきた未来に対するアレルギーへ変わる。
その通り。そして未来だと思っていた明日が、時には過去の繰り返しになってしまうということも。性能面、そして利用者の心情において確かにケータイ/ネットブック+クラウドというのは過去の繰り返しではない。しかしその本質において、それは端末から汎用機を使うという、今年で40になろうという私にとってすら歴史である大昔と空恐ろしいほど似ているのだ。
だとしたらエンドユーザコンピューティングの未来像を氏がどのように思い描いているのか、とても興味がある。
そのエンドユーザーという奴である。パーソナルコンピューターのユーザーは、本来「エンド」ではないのだ。時に「使う人」であると同時に、時に「作る人」であるというのが、パーソナルコンピューターがもたらした革命であった。特別な資格や技能を持たずとも、そして誰かに許可を得なくとも、誰でも「作る側」にも回ることができる。それこそが、パソコンがもたらしたものなのだ。
しかし自由というのは、行き渡った途端に面倒で厄介なものとして受け止められるものでもあるようだ。土地は解放され再集約される。会社は起業され併合される。そしてコンピューティングは....
作るものと使うものの二極分化がそうして進んでいく。ローマ帝国から21世紀まで、歴史は繰り返すばかりなのだろうか....
Dan the Sharecropped
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