日本経済新聞出版社細谷様より献本御礼。

もう書名を見ただけで期待値Max。それだけに裏切られた時の衝撃に身構えた。本書は64だろうか?それともWiiだろうか。

後者、だった。それも花札付き!

本書「任天堂 “驚き”を生む方程式」は、今までありそうでなかった任天堂本。本日(05月11日)終値で時価総額日本七位にして、社員一人当たりの利益(売り上げでなくて!)が一億を超える、世界的な優良企業に関する本が今までなかったのには、わけがある。

目次 - 任天堂 “驚き”を生む方程式 - 井上理|日本経済新聞出版社より
プロローグ―「100年に1度」に揺らがす
第1章 ゲーム旋風と危機感
DS、1人1台への挑戦
社長が作った《脳トレ》
ゲーム人口拡大戦略とWii
ソニーとの10年戦争
「ゲーム離れ」の危機感
第2章 DSとWii誕生秘話
レストランで生まれたDS
Wiiの「お母さん原理主義」
怖がられないリモコン
毎日、何かが新しい
第3章 岩田と宮本、禁欲の経営
勝って驕らず
心はゲーマー、岩田聡
文法破る、世界の宮本茂
「肩越しの視線」という武器
「ちゃぶ台返し」の精神
部門の壁を壊す「宮本イズム」
外様社長が励む個人面談
伝統にサイエンスを
第4章 笑顔創造企業の哲学
娯楽原理主義
「任天堂らしさ」を守る
「驚き」や「喜び」を食べて育つ
似て非なるアップルと任天堂
「役に立たないモノ」で培われた強み
黒焦げのゲームボーイ
第5章 ゲーム&ウォッチに宿る原点
甦る「枯れた技術の水平思考」
遊びの天才、横井軍平
ローテクで勝ったゲームボーイ
最先端に背を向ける
第6章 「ソフト体質」で生き残る
カリスマ山内の「直感の経営」
次世代に賭けた最後の大勝負
ソフトが主、ハードは従
娯楽に徹せよ、独創的であれ
第7章 花札屋から世界企業へ
京都のぼんぼんとトランプ
勝てば天国、負ければ地獄
失意泰然、得意冷然
カルタ職人のベンチャー精神
第8章 新たな驚きの種
「ポスト脳トレ」の新機軸
クリエイター人口拡大戦略
お茶の間の復権
「草野球市場」からの刺客
エピローグ―続く“飽きとの戦い”
P. 11
任天堂は外様に経営を語られることをよしとしない。経営を称えられることすら厭う。だから個別に取材を受けるということは、これほど成功している企業であるのに極端に少ない。故にその経営を題材とした書籍も、ほとんどない。

そんな任天堂を、その商品から受ける憶測ではなく、丹念な取材と綿密な考証に基づき上梓された本書が面白くないわけがない。他の企業ならさておき、製品の100%が娯楽品である任天堂は、面白くなければ存在価値そのものがなくなってしまう。面白い日本語になってしまうが、本書は命がけで面白い、というしかない面白さだ。

感嘆したのは、本書が繁栄の絶頂にある同社の現在だけではなく、120年にも及ぶ同社の過去と、そしてかつてないほど見えない未来をきちんと書いたところ。現在の任天堂の「デュアルコア」である岩田聡、宮本茂の片方だけでも本が一冊出来るだけの重要人物であり、両氏の重要性は Gates や Jobs に劣らない。そして退社してわずか二年後、56歳で亡くなった横井軍平が世界に与えた影響は、この両者を合わせたよりもさらに大きいのではないか。カードゲームの会社を電子ゲームの会社に変えたのは、この人だったのだから。彼らのいずれか一人分だけで紙幅が尽きても十分満喫できたのだが、極めつけはあの「静かなるドン」、山内溥のインタビューも取り付けたことだろう。氏の言葉を知るためだけでも、本書を手に入れる価値がある。横井、宮本、そして岩田の主張であれば製品を通して知ることができるが、なぜ山内がこれらの逸材を魅了しつづけたかを知るにはそれしか方法がないのだから。

ビジネス書の感想文として「多いに参考になった」というのは最もあたりさわりのない締めである。しかし本書にそれは通用しない。前述のとおり任天堂は必需品を一切作っていない。山内のいうとおり、「よそと同じが一番アカン」のだ。本書で唯一「そのまま」参考にできるのは、「参考するな、自考せよ」という「メタ参考」しかない。

もっとも、まねしようにもどれだけの会社が真似できるのか。なにしろ、任天堂の仕事は「仕事」ではないのである。

小飼弾の 「仕組み」進化論
十分に発達した仕事は遊びと区別できない

任天堂のそれは、区別どころではなく、100%純粋な遊びなのである。それも、「すべった」時には何百億、何千億の単位で銭がなくなる。花札賭博どころではない。

仏教は心の科学」 P. 99

みなさんは天界に生まれ変わったら、遊んだり、音楽を演奏したり、踊ったり歌ったり、性的な行為を思う存分やったり、お腹いっぱい食べたり、そういうイメージで「楽しそうだな。天界に行きたいな」と思っているのではありませんか。

でも本当は天界では、そういうことをしないと死んでしまうのです。彼らは楽しんでいるわけではなくて、必死で生きているのです。遊ばなくては死ぬのです。音楽の波動で生きている神々は、ちゃんと定期的に、決まった時間にその音楽の波動を食べないと死んでしまうのです。我々は楽しくなるために演奏を聞いたりしますが、天界の場合は、生死の問題です。死ぬか生きるかの大問題なのです。それでも皆さんは天界に生きたいですか?

任天堂における仕事とは、このレベルの遊びなのだ。

そして、それは近未来の我々の仕事でもある。

貧困が克服された後、何が残るか。

退屈、である。

これこそが、人類にとってのラスボスなのだ。

任天堂の真の敵は、SonyでもMicrosoftでもなく、そしてAppleですらない。むしろ彼らはライバルと見なすべきだ。著者はこのことを正確に見抜いている。貧困を克服してもなお残るそれこそが、任天堂の真の敵なのだ。

本書を「面白い」を超えて役立てるには、一回り大きな視点が必要だろう。岩田がゲーム機の役割を再定義した時と同じような。そう考えていくと、一見「しょせん暇つぶしを提供しているだけの、必需性ゼロ」の任天堂のありようこそが、日本が沈むか再び昇るかを決めるのかも知れない。どれだけ売れるかでも、どれだけ作れるかでもなく、まてやどれだけ働けるかではなく、どれだけ遊べるか。

世界一の遊び企業を、まずはごらんあれ。

Dan the Customer Thereof