なんと。

ハヤカワ・オンライン|早川書房のミステリ・SF・ノンフィクション:新着ニュース
2009年5月26日、19時18分、栗本薫さん(別名義に中島梓)が、膵臓癌にてお亡くなりになりました。享年56歳でした。

言葉に、ならない。

最初の感想は、「あの栗本薫でも死ぬんだ」というはなはだ失礼かつ非科学的なもの。それほどこの人の「作家生命力」は旺盛だった。ガンですら「この人も死にうる」ことには出来ない。闘病だって四回目だったか五回目でだったか。「ガンすら食っちまうんじゃないか」というイメージがこの人にはあった。

しかしこれだけの力がある人でも、いやだからこそその力を上回る何かを抱え込んでしまうこともあるのだ。私が13歳の時に始まった「グイン・サーガ」は、ついに完結しなかった。

追悼、栗本薫。 - Something Orange
最終巻となるはずだった『豹頭王の花嫁』が書かれる事は、もう、ない。

私はマヂに「完結したら一気読みしよう」と決めていただけに、これが残念でならない。今まで話を追ってきたファンであればなおさらのことであろう。亡くなった本人よりも、終わらなかった物語を抱えて途方にくれる彼らこそ救済が必要な気がする。

しかし、「話を終わらせずに逝くなんて、なんて無責任な」というには、あまりに酷でもある。何度もがんを生き抜いてきたからこそ、「私なら書き上げられる」と本人はむしろ確信を強めたのではないか。

ここ20年ぐらいグイン・サーガを含め氏の新作は読んでいないので最近の傾向はわからないのだが、話をわざと冗長にする人にはあまり感じられなかった。例として「レダ」をあげておく。長編SFではあるが、文庫三冊にきれいに収まっている。そういう人が100巻という見積もりをたてた以上、本人には完結させるだけの見通しがあったはずである。本人にとって想定の範囲外だったのは、ガンよりもむしろ100巻という見積もりが甘かったことではないか。

その時点で、「グイン・サーガ」と栗本薫の「デカップリング」は考えなかったのだろうか。物語というのは一人で書く必要が本当にあるのだろうか。「ペリー・ローダン」のような例もあるではないか。むしろ偉大で遠大な物語であればこそ作家の手を離れ一人歩きするべきではないのか、というのはあまりに素人考えだろうか。しかし他の分野においては、一人で作りきれないものはみんなで作ることこそ普通であり、一人の死で作品が頓挫することは、その作品が重要であればあるほど許されないことでもある。オープン・ソースの世界でも、「おれが死んでもコードは死なない」という安心感は小さくないのだ。

終わってしまった一人の偉大な人生よりも、むしろ終わらずにいる一つ遠大な物語のことの方が気になって仕方がない。

Dan the Reader