筑摩書房松本様より定期便で献本いただいたのだが、以下を見て書評をまだ上げていなかったことに気がついた。

個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
こういう日本という国で生まれる文化は、軟弱だ。軟弱で、冷笑的で、一歩つねに傍観者敵に引いている。でも軟弱であるがゆえの洗練はすばらしく、その洗練のゆえに日本文化は世界の中で尊敬され、賞賛されてきた。

これまた献本いただいた「ひと月15万字書く私の方法」の書評でなくて失礼。しかし必要なのはこちらの方である。

本書「アニメ文化外交」は、もはや日本のアニメが、「国内の好事家のためのサブカルチャー」として扱うには、世界にとってあまりに大きな存在となっている事実を、あまりに多い実例とともに紹介した一冊。

目次 - Amazonより
第1章 チェコ、イタリアからサウジアラビア、ミャンマーへ
第2章 スペイン、フランスから東南アジアまで
第3章 なぜアニメが外交に使えるのか
第4章 「官」がすべきこと、「民」がすべきこと
付録 オタク外交官と呼ばれて―山田彰前スペイン公使へのインタビュー

豊富な実例は本書で直に確認していただくとして、日本のアニメが世界にとって--それも世界の今日ではなく明日にとって--どれほど大事かは、以下のエピソードで十分だろう。

表紙より
「日本のアニメーションは好きですか?」とボローニャの後訪問したローマで学生達に問いかけたとき、「先生、僕たちは(日本の)アニメで育っているんですよ」と着かさず前列の学生につっこまれた。そんな質問は聞くまでもなんでしょうという感じである。

そう。世界の子供たちを育んでいるのは、日本のアニメなのである。このこと自身は、私がものごころついた時から事実だった。映画版マクロスの「オレタチ」字幕(非公式ということ)をつける手伝いをさせられた思い出がなつかしい。ヤックデカルチャ。

しかし、21世紀に入って二つ変わったことがある。一つは、それが日本のものだと世界が知っていること。かつて日本のアニメというのは、「そのまま」ではなく、「現地化」されて放映されていた。だからそのアニメが日本製だということを知らない人も決して少なくなかったのだ。

P. 59
一九七〇年以降、世界各地に放送局が増えのると同時に、日本のアニメーションは世界各地で見られるようになった。理由は簡単。放送枠すべてを埋めるだけの番組を作ることは難しく、放送枠を埋めなければ鳴らない放送局に、もともと国境を越えやすいコンテンツといえる日本のアニメーションはまさにうってつけの存在だったのだ。輸入された日本のアニメーションを自国の政策物として見ていた人がたくさんいたのが、このころの話である。無国籍ななキャラが多数登場してくるのは、日本のアニメーションの特徴のひとつでもあったから、そう誤解する人が多数いてもなんら不思議な現象ではないだろう。「キャンディ・キャンディ」「マッハGoGoGo!」(アメリカでは「Speed Racer」のタイトルで放映された)「アルプスの少女ハイジ」といった作品だ。

しかし、それも今や昔。21世紀の世界のアニメオタクたちは、それがきちんと日本のものと知った上で支持しているのだ。そしてその支持の熱さは、国内のアニメオタクたちのそれに勝るとも劣らない。

P. 64
「ロボットものにはあまり興味がないんです」
 これから見る「機動戦士ガンダム00」と「コードギアス」のファンイベントともいえるライブについてこう返してきた彼が、今一番好きなアニメは「涼宮ハルヒの憂鬱」と「らき☆すた」だ。
「鷺宮とか行ったんじゃないの?」
 冗談ぽく聞いてみると、
「はい、行きました」
 との解答がかえってきた。半ば冗談で聞いたので、即答されたこちらの方が驚いてしまった。

その状況を成立させたのが、もう一つの違い、インターネットである。かつて日本のアニメはTVで視聴されていた。当然現地のTV局が放映してくれなければ、当地の人々がアニメに触れる機会はない。私ぐらいの年代で田舎に棲んでいた人は、ある番組が東京のみで放映されていることに悔しい思いをしたことが結構あるだろう。世界中がそういう状況だった。

ところが、今や放送が終わるやいなや「エンコ」されたAVIファイルがBitTorrentで流され、数日後には字幕がつく。その字幕をつけているのは、名もない世界のファンたちである。海賊版といえばもちろん海賊版だが、そもそも「正規版」がきちんと流通していない現況で彼らにそれをやめろというのは、彼らに「氏ね」というに等しい。

そう。今や日本のアニメは、世界中で生で観られているのだ。エンコードのタイムラグがあるので「半生」ではあるが、かつての状況と比べたら「ヴァーチャル生」といってさしつかえないだろう。

こういう世界のアニメファンたちに、日本はどう答えてきたか。

何も答えていないに等しい。

これは、実に irresponsible なことではないだろうか。

あえて「無責任」ではなく "irresponsible" という言葉を使った。responsibilityという言葉は「責任」と訳されるが、原義は「返答すること」である。日本の関係者は、悲しいほど海外に返答していないのだ。

その理由は、佐々木さんが指摘した通りであろう。

個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
ここに来て急にニコニコ動画やアニメのようなサブカルチャーが「日本の誇るコンテンツで海外に輸出しなければ」と言われて変に気恥ずかしい思いになってしまうのは、そういう歴史的背景がある。しょせんサブカルなんだから、気持ち悪いからそっちから歩み寄って来ないでよ……というわけだ。

しかし、アニメに限らず文化というのは、by whom という点では制作者のものであるが、for whom という点では支持者のものである。そして世界のどんな文化においても、支持者に返事をしないのは失礼なことだとされている。日本の文化はその点が人一倍厳しいのではなかったか。

そして、どんなカルチャーも他のカルチャーと無縁ではいられない。ジダンやトッティがサッカーを志したきっかけは「キャプテン翼」だった。「ハチワンダイバー」で棋士を志す人だっているに違いない。「ヒカルの碁」で碁を知った人があれほどいるのだから。

「サブカルチャー」を、返事をしないことのいいわけにするのは、いいかげんやめなようじゃないか。

返事の仕方を知らないとは言わせない。ゲーム業界はきちんとしているのだから。任天堂も、SCEも。

世界は待っている。

日本の返事を。

Dan the (Sub)?Cultured