出版社、著者双方より献本御礼。

今までありそうでなかった一冊。

「聞いて習う」は、もっともっと注目されていい。

ただし、聞き過ぎにはご注意を。

なぜなら、耳は目よりひいきされているのだから。

本書「脳がよくなる耳勉強法」は、日本初にして日本最大のオーディオブック事業、株式会社オトバンクの創業者による、耳勉強法のススメ。

目次 - Amazonより
第1章 私たちは五感で勉強している
何のために勉強するのか? / 勉強の「4つの要素」 / なぜ聴覚が勉強の役に立つのか
第2章 音で脳の個性を活かす
脳の個性を活かす勉強法とは / 脳の機能を知る / ディスレクシアに学ぶ脳の学習プロセス / 自分の得意な感覚を生かす
第3章 耳勉強法を始めよう
耳勉強法とは「聴覚マネジメント」 / 耳勉強法 5つのメリット / 〈耳勉強法の基礎知識〉オーディオブックの種類・聴き方・テクニック / 言語能力を鍛える耳勉強法 / すき間時間マッピング」で耳勉強の時間を見つける / 耳勉強法の達人たち
第4章 耳勉強法を実践しよう
MP3プレーヤーを手に入れよう / オーディオブックサービスを選ぶ / ソフトウェアを揃える
付録 著者がおすすめするオーディオブック

ハウツー本の体裁にのっとって、本書も理論と実践からなっている。で、正直理論の方は納得しかねる。

P. 46
思考はすべて「言葉」によって行われており、言葉で思考しない人間はいません

これははっきりと「No」と弾言させていただく。私にとって言葉は理解と表現の道具であっても、思考の道具では実はない。

404 Blog Not Found:「はじめに言葉ありき」は本当か?
少なくとも、私の考えは「文字列」ではない。もっと多次元の「もやもや」だ。私にとって「言葉」とはあくまでそれを「シリアライズ」(serialize)したもので、それを聞くということはいちいちそれを「デシリアライズ」(deseriarize)して、構文解析(parse)して....というまだるっこしい作業を伴うものだ。少なくとも「直感」とはほど遠い。

ベストセラーである「奇跡の脳」も、このことにある程度の裏付けを与えてくれる。同書で最も驚いたのは、左脳が麻痺した著者が見た世界が、いかに私が「考える」時の状態に近いかだった。自己の境界と時の流れがなくなったその世界にこそ、「マイワールド」なのである。

しかし、その世界をそのまま世界にぶちまける方法を、右脳は持たない。左脳という通訳がいて、はじめて自分が世界の全てではなく、そして時には流れがあることがわかる。私は言葉で考えない。しかし私の考えがあなたにいくばくか伝わるのも、そしてあなたの考えが一部でも私に伝わるも、言葉あってのことなのだ。

話しがすこしそれてしまった(いつものことだけど)。本書に話しを戻そう。本書の価値は、実践の方にある。ハウツー本にとってより重要なのは、理論の正しさではなく実践の効果である以上、本書はたとえ理論に納得できないとしても価値がある。そしてその実践の効用が大きいことは、私自身を証拠として提示できる。私も「耳勉強法」の実践者だったのだから。

私は英語を「勉強」したことがない。にも関わらず英語が話せるのは、歌を聴きまくり、映画を見まくっていたからだ。特に前者は他の学習をしているときにもしていた。「アメリカに何年もいたのだから英語が話せるようになるのは当然」というのは否と断言する。私の場合、下地が十分に出来ていたのだ。逆に下地が出来ていない人は、何年かの地で過ごしても話せるようにならない。そういう例を私は何人も見てきた。

語学の場合はすでに「耳勉強法」の効用は知れ渡っているので、本書の主題である「オーディオブック」的なものに話しを移すと、私は百人一首をこの方法で覚えた。母の友人が、今はなつかしオーディオカセットに朗読を吹き込んでくれたのだ。おかげで今でも全部覚えている。オーディオブックという言葉がないころから、私はそれを活用していたことになる。

耳学習法の最も優れた点、それは「音を光よりもひいきする」という脳の特性を援用していることだろう。そう。耳は目よりひいきされている。絶対的な情報量において目に勝る器官はない。解剖学的に脳の一部なのだから、これは驚くにあたらない。むしろ驚くべきなのは、にも関わらず耳からの情報に、脳は目の半分ぐらいは注意を払っているという点だ。

P. 45
アメリカの心理学者アルバート・メラビアンは、人は言語(Verbal)が7%、聴覚(Vocal)が38%、視覚(Visual)が55%で人を判断していると言っています。

有名な話しであり、またこの話が「人は見た目が9割」のベースにもなっているのだが、むしろ私が驚くのは、聴覚が38%もあることだ。脳に出入りする神経の数だけ見れば、「見た目が9割」でなければならないのに、実際には6割を切っているのだ。

これはおそらく、人が哺乳類であることと関係がある。鳥類の視覚に比べると、哺乳類の視覚はしょぼい。鳥類は四原色が基本なのに、哺乳類は二原色が基本。霊長類はもう一色取り戻しているが、これは進化の常識から考えると信じがたい奇跡だ。

それはさておき、こうなったのは中生代、哺乳類がマイナーだったことに由来するようだ。当時昼の世界を支配していたのは恐竜たち。哺乳類は闇夜にまぎれて暮らしていた。光の乏しい世界で生きていくために発達したのが、聴覚。おかげで我々は耳朶を持っている。哺乳類の外見上の最大の特徴、それは耳なのではないだろうか。

これほど重要な情報チャンネルを学びに活用しないというのは、まさに「もったいない」ではないか。

にも関わらず、それが今まで「捨て置かれていた」理由は二つあると考えている。一つは、優れた記録装置の欠如。「文字があったじゃないか」というなかれ。あれは視覚を経由しているので、間接的なものである上に、使えるようになるまでかなりの訓練を要する。義務教育のおかげで「誰でも使える」ようにはなっているが、それはまさに「勉強の成果」であって「自然な学習」とは言いがたい。歴史を見ても、絵と比べればその歴史はずっと浅い。音声をそのまま記録、再生できるようになったのはたかだか一世紀であり、それが一般人の手にとどくようになったのはせいぜいその半分であり、そして「オーディオブック一冊」相当ではなく、「オーディオライブラリー一式」を自由に持ち歩けるようになったのは今世紀になってからのことなのだ。

そう考えると、今はオーディオブックを始める格好の時期と言える。ウォークマンの時代では、「ブック」ごとにカセットを用意する必要があった。当時から「耳勉」していた人はいたけれども、たいていの人にとって聞くものごとにカセットを取り替えるのはめんどくさすぎる作業だったはずだ。お気に入りの音楽を厳選してそれを流しっぱなしにする人の方がほとんどだったのではないだろうか。

mp3プレイヤー -- いや、はっきり iPod と言った方がよいだろう -- が、これを変えてしまった。音楽だろうがオーディオブックだろうが、とにかくなんでもデジタル化しておけばいくらでも持ち出せるようになったのだ。これで「さあ、これからオーディオブックを聞いてやる」という気合いを入れる必要がこれでなくなる。「耳勉強法」の最大の利点、それは「勉強感」が大幅に軽減されることである。努めて強いては学習効率は下がる。「耳勉強法」とは、「脳の特性を活かした、勉強の『非勉強化』」なのである。

ここで、今まで「耳勉強法」が今までそれほど活用されていなかったもう一つの理由にたどりつく。それは「耳を使うのは非常時」という、耳のもう一つの特性だ。耳からの情報は、緊急度が高い。それゆえ、「耳は開けておく」のが社会人のマナーともされる。デートの時に相手がイヤフォンをしていても平気という人はまずいない。イヤフォンが"Do not disturb"サインとして機能するからだ。

「耳勉強法」で最も留意するべき点は、ここだろう。本来であれば開いているはずの「割り込みチャンネル」を占有してしまうのだから。たとえば熱中しているうちに電車を乗り過ごすことのないよう、くれぐれもご注意を、というわけである。

それをも考慮すると、「耳勉強法」における最高の道具は、やはりiPhoneということになるだろう。これなら電話を取り損ねるということがありえない。電話というのはまさに割り込みの権化であり、それ故嫌われもするのだが(私も好きではない)、電話を逃すというのは「耳勉強法」における最大のリスクの一つであり、それを回避できるというのは実に大きな利点だ。

今の私は、かつてほど「耳勉強法」を使っていない。その理由がまさに「耳を開けておきたいから」だが、かつてラジカセ(死語?)で「耳勉」していたころにiPodがあったら、今よりもっといろいろなものが身に付いていただろう。最近の若者がうらやましい。いや、まじで。

Dan the Listener

追記: ディスカヴァー社長室blog: これはベストセラーの予感!? 「耳勉」●干場
勉強の基本を、著者が名付けたRIMOサイクル
1 情報源(RESOURS)
2 情報の入力(INPUT)
3 情報の記憶(MEMORAIZE)
4 情報・行動の出力(OUTPUT)

"Resource", "Input", "Memorize", "Output"ですね、原文では。しかしこの原文も、英語としてはかなり変。名詞なら名詞、動詞なら動詞で統一しないと座りがわるい。"Memorize"ではなく"Memory"にするか、"Resource"(これはinput/outputと違ってそのままでは動詞にはならない)の"Re"をいっそとっぱらって"Source"にするか(これは動詞にもなる)。SIMOだと「下」すぎる?