いよいよ発売。
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どちらも著者の新田ヒカル のものだ。
本書「お金と生き方の学校」は、著者の「授業録」。「教師」として登場するのは、以下の方々。
目次 - 新田ヒカル公式blog 225先物「投資の真理」 | 『お金と生き方の学校』その中に私が入っているのが何とも気恥ずかしいが、そこをあえて無視してこの六人を見ていると、一体何の共通点があるのかと首を傾げたくなる。逆に、それがわかれば、著者が受けた「授業」が一体なんだったのかもわかる。
それが、「お金」と「生き方」。この六人に共通するのは、お金に使われていないということになるだろう。この点においては、著者の生き方もまた然りなのであるが、充分高度に発達した教師というのは、生徒と見分けがつかない。本書において著者はあえて生徒となることによって、現代社会においてなくてはならない、しかしそれだけに必要以上に重要視される、「お金」というものが「生き方」にどのような意味を持つのかを模索していく。
そして、高度に発達した学びは、遊びと区別がつかない。私も多いに授業を楽しませてもらったが、著者はもっと楽しんだようだ。もしお金に使われず、お金を使う側に回れたのであれば、そしてそれが一部の「心持ち」だけではなく、人類にとって当たり前のものとなったら、その時にこそ気がつくだろう。
学びこそ、最高の遊びなのだ、と。
誰もが金に困らなくなった日を想像してみよう。それは誰もが億万長者になることによって達せられるのかも知れないし、かつて有料だったもののほとんど全てが無料になることによって達せられるのかも知れない。
しかしそうなっても、人生は続く。
それが「やることがなくなる」ことなのか、そここそが「やっと人生の本番」なのかが、ポスト貧困根絶時代に幸せになれるかどうかの分水嶺だと私は感じている。「働けなくなったらどうする」?
学べば、いいではないか。
著者はまさにそれを実践している。著者も私も「投資家」という肩書きがついているが、本当の生業は「教師」であり「生徒」である。そして高度に発達した授業において、この両者の区別はどうでもよくなる。
本書の六つの授業は、まさにそういう授業だ。読者のみなさんも存分に遊び、楽しんでいただきたい。そしてどうすれば金という苦に煩わされずに遊べるようになるのかを考えていただきたい。
それが本書に登場した七人共通の願いだ。
Dan the One of the Teachers Thereof
See Also:追記:それにつけても著者の「授業」好きと来たら。おかげで今日も八重洲ブックセンターでばったり鉢合わせすることになった。
この視点は、個人的に好きですね。
引き合いに出す学説としては微妙なのですが、マズローの段階欲求説における自己実現欲求にもつながる話です。
人間は、お金が欲しい、モノが欲しい、人に尊敬されたい、などなどの欲求がすべて満たされても、
何かをする事でもっと成長をしたい、という自己実現欲求によって動機づけられるといった学説です。
それから、新田氏の話題がいろいろ出ているので、私も知っている事を書き込ませてください。
少なくとも、NTT東日本でシステム開発をしていた話は完全に嘘です。
SEであったという話も、NTT東日本時代という事であれば完全に嘘です。
NTTに居た事自体は本当のようですが、
システム開発やSEに関係する部署に居たという記録はありません。
これは、NTTの友人に確認済みです。