そろそろこの話題について語っておくか。

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マスコミの注目を集めていたアグネス・チャンさんは、タイのチェンマイでビルマ(ミヤンマー)から売られてきた子どもたちが、いかに酷い扱いを受けているのか、また、いかに買春をされて写真を撮られているのか、その苦痛に満ちた訴えを情感を持って語った。

これを防ぐのに、

は、明日の方法のように見えて一昨日の方法でしかないので。

まず、児童ポルノの所持を禁止することによって、途上国における児童売買春が減るかどうか。

これが減らないことは、誰がそれらの国で子どもの性を買っているかを見ればわかる。

日本人だけではないことは確かだ。

他の先進国にも客がたくさんいることも確かだ。

しかし、中東の産油国にも客がいるというのはあまり取り上げられていないように思う。

そう、中東の産油国。イスラム法のもと、「言論の自由」などという「たわごと」に邪魔されず、先進国とは比較にならないぐらい、性に関して厳しい措置がとられているはずのこれらの国にも、客は存在する。それどころか本国で外せぬ羽目を思いっきり外し、そしてそれが表に出ないように口止め料をはずんでくれるので「お得意様」となっているようだ。

この例は、買う側の規制がむしろ法の本来の役割である被搾取者の保護に役立つどころかむしろ「国内で駄目なら国外で」というインセンティブを高めてしまう、「保護政策のジレンマ」の格好の例の一つではないか。

ならどうすればいいか。

先進国が、どうやって子どもの人権を拡充してきたかを見ればそれがわかる。

人権を拡充する前に、経済を拡充したのだ。

かつて子どもの人権がいかにしょぼかったか、しょぼい以前にそもそもなかったかは、これらの国の歴史をチラ見すればいい。

404 Blog Not Found:生命が「考える」命の値段
毛沢東にとっては「中国」の方が明らかに「中国人」よりも大事だった。「人民の海に溺れさせる」戦略は、人民を「水分子」扱いできなければとても出てこない発想だ。日本でさえ、戦前は子供が病気になると、「治療費と葬式代とどっちが安い?」という電話相談があったそうだ。英語で歩兵のことをInfantryというが、その語源はinfant。なんで「子供」が「歩兵」の語源かと言えば、「弾よけ」(たまよけ、だんよけにあらず:)に使ったのが子供だったからというが定説の一つのようだ。一般人どころか為政者すらその例外ではない。子供を人質にとった相手に向かってスカートを捲り上げて「ここからいくらでも作れる」とのたまったのはカテリーナ・スフォルツァその人である。

その子ども達が「モノ扱い」されなくなったのは、子どもの「値段」がモノ扱いするにはあまりに高くなったからだ。保護したから高くなったのではない。高くなったから保護に値されると見なされ、そして保護されたから高止まりしたのだ。

順番を、たがえてはならない。

経済発展が、先なのだ。人権保護ではなく。

このことは、「いくつもの壁にぶつかりながら」にも指摘されている。同書の著者が「戦っている」相手はカンボジアの児童売買だが、なぜカンボジアなのかといえば、

404 Blog Not Found:たった一つの持続するやり方 - 書評 - いくつもの壁にぶつかりながら
タイが経済発展したからだ。タイで子どもが売られないようになった結果、「市場」がカンボジアに移ったのだ。

というわけである。

なぜ子どもを売るかと言えば、その方がモノゴトを売るより儲かるからだ。それよりも売れるモノゴトさえあれば、子どもは自然と売られなくなる。保護法が効くようになるのは、その後の話しなのだ。先進国の多くは、左手で気に食わない国を経済制裁しつつ、右手で人権を訴える。それでうまく行くはずはない。「うまく行かないようにするための陰謀だ」と言われてたら、返す言葉もない。

そのモノゴトはなんだっていい。子どもより高く売れる何かでありさえすれば。極端な話しだが、これらの国でエロゲを作ってそれが先進国で売れるのであれば、そっちの方がずっといいと私は思う。まあ、「ハイテク」ならぬ「ハイカル」商品は難しすぎるとは思うが、とにもかくにも児童ポルノの所有を禁止するより、途上国の物品を買って経済発展させた方がよほど救われる児童は多いのは確かで、経済学者の言うことにつっかかる事が多い私も、この点に関しては100%経済学者に賛成する。

「衣食足りて礼節を知る」。要はそれだけのことである。

Dan the Father of Two