早川書房富川様より献本御礼。

「まさか」より「やはり」が多い一冊。

男が脆い性であることは、「できそこないの男たち」をはじめ多くの本がすでに指摘しているところであるが、本書の特徴はそれを女性側から指摘したことにあるだろう。

勝間和代の書評が欲しいところだ。

本書「なぜ女は昇進を拒むのか」は、女性で、息子を持つ母で、そして進化心理学の第一人者で、「社会における男女格差は、男女の育て方に起因するのであり、生まれつきの差はない」とする、著者の呼ぶところの「バニラ・ジェンダー仮説」の申し子でもある著者が、それでも男女には無視しがたい差があり、その差から目をそらすのは社会のためにならないと主張する一冊。

はじめに
第1章 男は弱い性?
第2章 読み書き障害の男性たち――字が読めなくても成功できる
第3章 理工系キャリアを離脱する女性たち
第4章 共感性という強み
第5章 オタクの逆襲
第6章 「父親」になりたかったわけじゃない
第7章 心に潜むペテン師
第8章 なぜ男は競争を好むのか?
第9章 ターボチャージャー搭載――成功を手にしたADHD男性
第10章 パラドクスを超えて
謝辞
訳者あとがき
出典
原注
1973年2003年
獣医学 カナダ1278
アメリカ1071
薬学アメリカ2165
法学 イギリス-63
アメリカ849
医学 カナダ1758
アメリカ945
経営学アメリカ1050
建築学アメリカ1341
物理学アメリカ722
工学アメリカ118

それでは、著者が主張する男女差とは何か。一言で言うと「女は弱いが(weaker)逞しく(robust)、男は強い(stronger)だが脆い(fragile)」ということになるだろう。

この状態で、「バニラ・ジェンダー」仮説にそって男女を育てるとどうなるか。

それが、著者が提示した二つの表である。上の表は、学位取得者の経年変化を、そして下の表は、就業の経年変化を示している。

見てのとおり、学位取得における女性の進出はすさまじい。幅広い分野で男性を凌駕しているのが見て取れる。実際、学位取得者の割合は、北米では男1に対し、女1.4となっている。優等生がたいてい女の子であることは、教員や塾の講師など、日常的に子供たちにものを教えた経験のある人であれば実感しているはずである。その結果、NYCやLAなど、米国の大都市では、女性の方が平均給与が高くなるというところまで来ている。


1973年2003年
オーケストラ演奏者1035
弁護士 カナダ535
アメリカ826
医師 カナダ-31
アメリカ826
立法府議員 カナダ717
国連加盟国-16
アメリカ314
科学・工学分野職員826
森林監督員・環境保全員413
航空宇宙エンジニア111
電話・通信施設施設修理員16
消防士03
メーカー代理業1未満3
電気工0.62
水道工・配管工01

にも関わらず、現場における女性の進出は、教育ほどには顕著ではない。折角男勝りの高等教育を受けていながら、それが職場で活かされていないのはなぜなのだろうか。

勝間和代をはじめとする、日本における「バリキャリ」女性たちは、その答えを「オヤジズム」とする。オヤジが認識バイアスに基づいて「女性は仕事を続けないものだ」という偏見を、経営に適用した結果、女性の高学歴が職場に活かされていないという主張である。

その主張は日本においては正しいと私も感じる。日本の職場は女性にとって快適な場所とはいえない。彼女たちにはもっと活躍する権利があるし、社会はそれをもっと後押しする義務がある。

しかし、それを徹底してもなお、邦題のとおり昇進を拒む女性が後をたたないというのが本書の主張であり、それがなぜかというのが本書の主題である。

そして、その理由として「弱く逞しい女、強く脆い男」という結論が出てくる。平均値は女性が上。協調性も女性が上。学校という場は、女性に有利に出来ている。しかし男性は分散が大きく、下に外れる、すなわち病気になったり犯罪者になったりする確率も高いが、上に外れる確率もまた大きい。「アベレージ」ではなく「ベスト」がものをいう、協調性よりも競争性がものをいう分野で男が幅を利かせている理由がそこにある。そしてまだ「分野」そのものが成立していないフロンティアにおいては、時には「病」でさえそれに味方をすることがあることを、著者は豊富な事例と統計を駆使して説いている。

この現実を社会はどう活かすべきか。著者はこう主張する。

P. 393
最後にもう一点。基本的な男女の性差に注意を向けなければ、男児の生物学的な脆弱さが軽視されている現状はいつまでもなくならない。

女性の弱さを克服するための社会政策が行き届いた今、今度は男性の脆さを克服するための社会政策が必要だと言うのである。強く脆い男性の典型の一人として、同意せざるを得ない。

世界がより平和になり、その世界の中でも最も平和な場所の一つである日本は、社会の建前はとにかく、本音の部分においては女性優位が最も顕著な社会にも見える。「女は昇進に応じてくれない」という著者の主張にしても、北米では「まさか」でも日本では「やはり」という受け止められ方だろう。職場よりも家庭を選ぶのは女性の当然の権利であり、「寿退職」という言葉がまだ生きている日本は、逞しい女を活かしていない以上に、脆い男に居場所がない世界にも見える。

逆説的ではあるが、女の逞しさをきちんとありのままに認めることこそが、男の脆さを克服するための一番の近道ではないか。男女の違いに配慮すれば、管理職、特に中間管理職はむしろ女性向きであり、逞しい女の元で強い男が切磋琢磨する姿の方が自然であるのに、現状は逆に、脆いオヤジがかよわいギャルを管理しているようにしか見えない。これでは互いに不幸ではないか。

「バニラ・ジェンダー」仮説論者でさえ、トイレまで男女統合せよとは言わない。そして社会が配慮すべき男女の違いは、トイレだけではない。本書が主張しているのは、実は当たり前のことだったのである。

Dan the Man, Father of Two Daughters