弾も考えてみた

なんでお金になることをタダで書くの? - ぼくはまちちゃん!(Hatena)
「ね、ブログ書く人ってなんでお金になることをタダで書くの?」
ははは。
「その知識、セミナーとかにすれば儲かるのに…」
なるほど、そうかもしれない…。

まずは、一見正しそうな理由を自問してそれを論破した後、正しいと感じる理由にたどりついてみることにする。

「金ならもう足りている」

事実ではあるし、またこれは私がタダで書くのをやめずにすむ理由の一つではある。少なくとも、銭で脅して私から書くことを取り上げられる人は、いない。しかしこれは「書ける」理由にはなっても「書く」理由にはならない。

しかし、私がタダでものを書き始めたのは、金が出来るずっと前のことだった。Usenetへの投稿はド貧乏学生時代にしていたし、Nifty Serveに書き始めたのは実家の焼け跡に立てたプレハブ小屋からだった。後者に至ってはタダどろか通信代と電話代を支払っていた。インターネット黎明期にいたっては、128Kbpsの専用線に月30万支払っていた。

「タダでも儲かってるじゃん」

これまた事実かつ理由にはならない。

今でこそ本blogで上がる収益は月三桁に届いているが、前述のとおり、私はそれ以前から書いているし、むしろ儲けが出なかったころの方がまめに書いていたぐらいだ。本が売れようが売れまいが、私は本について書くだろうし、人に使われようが使われまいが、私は自分で使うコードを書くだろうし、そして制約がなければそれを公開するだろう。実際「オープンソース」などという言葉が出来る前から、私はコードを公開してきた。

「要は名前を売りたいんでしょう」

これは理由以前に事実ですらない。事実であれば、私は今でもサンデージャポンに出ていただろう。他はとにかく、単に名前を売る手段としては、未だインターネットはメディアとしてはまだまだテレビの足元にも及ばないのだから。

TVスケールで有名だというのはろくなことがない。街に出かけるにも変装するか車で移動するかするはめになる。さもなくば電車の中で写メされるか。今では普通に地下鉄に乗れることに、心底ほっとしている。

で、結局のところどうなのよ?

私がタダで書いているのは、書きたかったからだ。まず「書きたい」があり、ギャラが入るかどうかはその次だったのだ。重要なのはまず Free = 自由に書けることであって、 Free = タダで書けることではなかったのだ。

そして世の中を見合わしてみると、プロとして見せ物を作っている人は、タダでもやりたくてしょうがない人ばかりではないか。アスリートも音楽家も画家も漫画家も作家も、皆はじめはタダでやってきたのだ。タダどころか多額の授業料を払って来た人も少なくない。タダでやっている人が皆プロになれるわけではないけれども、はじめからぶっつけ本番でプロになった人など皆無ではないのか。

なんでお金になることをタダで書くの? - ぼくはまちちゃん!(Hatena)
あ、あくまでこれは「ブログを書く理由」ではなくて、「なぜタダで書くのか?」って問いかけに対する答えだよ。

この二つは、実は同じではないのか。

ギャラがあるから書くんじゃない。

書くから、時にはギャラが舞い込むこともあるのだ。

タダでも書き続けられるひとだけが、ギャラをもらえるほどよく書けるようになるのだ。

成熟のために (内田樹の研究室)
依然として教育をビジネスの語法で語り、教育活動を「商品・サービス」として扱い、保護者や子どもたちを「クライアント」と呼び、「新製品」をずらりと並べて、パブリシティに金をかければ「マーケット」はいくらでも新規開発できると信じている人々が教育現場に対して強い政治力を維持していると言うことである。この人々にご退場願わなければならない。

ばかだなあ、樹先生は。

「退場願う」で退場するのは、「待てー!」と言われて泥棒が待つほどあり得ない。

そんなことを言うより、「マーケットに無関心な自分の方が、マーケットに一喜一憂するあなたがたよりずっと文章で稼いでいる」の一言の方がずっと効くのに。

私が書評で「儲かっている」のは、儲けがなくても書けるから。

私がコードでもっと「儲かっている」のは、もっと儲けがなくても書けるから。

儲けがなくてはできない人は、儲けがなくてもできる人に絶対かなわない。

成熟のために (内田樹の研究室)
大人がつねに自分の未熟を恥じる文化からしか、子どもを成熟に導くメカニズムは生成しない。

未熟を恥じるのが、成熟した人。

無知を知るのが、知る人。

なら、

無銭でもそれをやらずにいられない人こそが、そこから銭を得ずにはいられない人なのかもしれない。

「やりたい」が先なんだよ。「やってなんぼ」じゃなくて。

Dan the Free Writer