筑摩書房松本様より定期便にて献本御礼。
こういうのもなんだけど、今まで読んだ哲学書の中で最も面白く、「使える」と感じた。哲学者のための哲学ではなく、Philosophy = 知を愛する人を愛する学が、ここにある。
それと同時に、強く感じたのは、いいかげん「哲学者」だけで哲学を「哲」することにはもう限界があるのではないかということ。「哲学」が「学」の中心となる時代は再び来るのだろうか....
本書「中学生からの哲学「超」入門」は、哲学とはなにか、いや、なぜ哲学なのかを、中学生にもわかるように書いた一冊。哲学というとやたら難解、というより難解のための難解というイメージがあるが、それは単に哲学者が怠慢に由来することが本書を読むとよくわかる。
「ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ」 P. 280わかりやすいといことは、レベルが低いこととはまったく違う。本当に根本的な発見というのは、小中学校の教科書に記されるものなのである。目次
- 1. 自分とは何者か
- 神経症―私はなぜ哲学者になったか
- 欲望論哲学の出発点
- 2 世界はどうなっているか
- 宗教のテーブルと哲学のテーブル
- 哲学のテーマ―「神」と「形而上学」について
- 宗教と哲学の弱点
- 3 なぜルールがあるのか
- 大貧民ゲームで近代社会を体験する
- 4 幸福とは何か
- ガウェインの結婚―「自分の意志を持つこと」
少なくとも、「なぜ哲学か」は、中学生どころか小学生にもよくわかる。本書の各章のテーマについて考えたことがない者はいないだろう。誰もが考えざるを得ないことを考えるのが哲学であり、それゆえこじらせると「中二病」などと言われたりもするのだが、本書は哲学者たちが「中二病」的袋小路をきちんと克服し、そしてその過程が中学生でも追えるほど明快であることをきちんと示している。
哲学者達は、どうやって「アキレスと亀」をはじめとする詭弁を乗り越えたのか。
哲学者達は、どうやって神に引導を渡したのか。
本書を読めば事足りる。哲学者の哲学者による哲学者のための本をひもとく必要はない。
本書の特長は、哲学書の特徴である「誰々はこういった」がほとんどないこと。どの命題もきちんと自分で考えて、自分で答えを出してから、「実は誰々が言っていた」というスタイルをとっている。面白いのは、その過程で、本来反権威主義的であるはずの哲学が権威主義的になる過程もしめされていることで、それをきちんと哲学の欠点の一つとして指摘していること。アインシュタインの「権威のジレンマ」は、考え抜いてやっとたどりつくことが出来る知にはつきもののようだ。
もう一つ面白かったのは、現代の哲学がどの問題に焦点をあてているかということ。哲学と言えば「人とは何か」なのだが、神に引導を渡して以来、現代の哲学では「人々とは何か」に焦点が移っているようなのだ。人はそれだけで人というのではなく、人々の相互作用により人になる。対象そのものより対象どおしの関係を考えるようになったというのは、数学も科学も同様で、哲「学者」でない私はなんだかほっとした。
と同時に、もういいかげん哲学者だけで哲学的問題を考え抜くのは無理なんなのではないかという感を強くした。思えばニュートン以前は、「学」とは哲学のことだった。ニュートン自身、「科学」(science)という言葉を使っていない。自然哲学という言葉を使っていた。そしてこの領域で、「人とは何か」の常識を覆す発見がつぎつぎに起きている。もはや「哲学は哲学、科学は科学」と言っていられないのではないか。
たとえば、「自由意志」。この自由意志がいかに不自由なのかを、最近の脳科学は明らかにしつつある。
404 Blog Not Found:NOのNOは脳 - 書評 - 単純な脳、複雑な「私」心には、自由意志 = free will はない。しかし自由否定 = free won't なら、ある。
これ一つとっても、哲学は科学を無視できないのではないか。
その逆もまた真なり。科学の発達が今までの哲学の常識を成り立たせなくなっていることも日常的に起きている。「言論の自由」というのは政治哲学の見事な成果であり、そしてそれは我々の社会に立派に応用されているのだが、しかし今度は「言論はどこまで『言論』なのか」という新たな疑問を生んでいる。「URLを掲示しただけで刑事犯?」というのは、リンクは言論なのか行為なのか我々が迷っている証拠である。
哲学者は哲学、科学は科学、そして宗教者は宗教だけをやっていればいい時代は終わっているはずなのに、なかなか専門化から抜け出せない。つらいといえば実につらい時代であるが、面白いといえば実に面白い。かつては哲学者や科学者の思考実験にすぎなかったことが、今や日常的に観察できるのだから。
そういう時代にあって、哲学はもう一度わかりやすさを求められている。科学はこの面で哲学よりずっとましだ。少なくとも「科学は難しいと思われている」という自覚を科学者たちが共有しているという意味において。哲学は科学と同じぐらい切実な問題なのに、この点に関する哲学者たちの怠慢が我慢ならないところまで来ていたところだった。本書に出会って心底ほっとしている。
Dan the Philosophere in its Original Sense

こういう風に最後に出てくる「俺は大人だよ」的な態度も某掲示板の特徴でしょう。