旅の道連れに購入。

歯切れがよくて面白かった。

それだけに、「真に受ける」とアブナイとも感じた。

おっちょこちょいの私が見てさえ、錯誤が少なくない本書ではあったが、本書の問題提起はそれを補ってあまりあるものかも知れない。

それは、社会の難点とは何かということだ。

本書「日本の難点」の主題は、「日本」ではなく「難点」にある。何の難点かというと、社会である。本書において日本というのはあくまでも例題であり、主題ではない。

目次 - Amazonより
はじめに
第1章 人間関係はどうなるのか?
コミュニケーション論・メディア論
第2章 教育をどうするのか?
若者論・教育論
第3章 「幸福」とは、どういうことなのか?
幸福論
第4章 アメリカはどうなっているのか?
米国論
第5章 日本をどうするのか?
日本論
あとがき

それでは、何が「日本の難点」ならぬ「社会の難点」なのか。

それは「利他性」であると著者は主張する。利他性は非合理なものであり、それであるがゆえに「合理的な理由で逡巡せざるを得ないという壁を、人に乗り越えさせる力」であり、それであるがゆえに「周囲が包摂」され、社会が築かれ、維持される。社会を社会たらしめる力は非合理というよりむしろ「超合理的」であり、だからこそ社会の難点となりうる。と。

本書のこの主張に、頭というより肝で納得する人も少なくないのではないか。社会のために自らを省みない人たちがいるからこそ社会が成り立つという主張を受け入れぬ社会というのはおよそないだろう。自らの手で堤防の漏れを防いだ少年の話しから、殉職者に捧げられる慰霊祭まで、我々は有名無名のヒーローヒロイン達の話しを繰り返し繰り返し聞かされて育ってきた。

しかし、それは本当に「非合理的」なことなのだろうか。これが本書の難点その一。

私は、実は利他性というのは極めて合理的な判断の帰結だという思いを年々強くしている。確かに利他的であるということは、相対的な自分の分け前を減らすことではある。しかし絶対的な分け前がそれで増えるのだとしたらどうだろう。

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親になると、自由が失われるという意見があります。確かに相対的自由すなわち「自分の時間に対して、拘束される割合」は大きくなるでしょう。しかし親になることで、持てる力はそれ以上に増します。その力が大きくなるので、「絶対的自由」、すなわち「自分の手に届くものごとの範囲」は大きくなるのです。
そもそも社会だの会社だのという仕組みが、相対的自由にあえて縛りをかけることで、絶対的自由を増すための仕組みであることを考えれば、家庭という最も基礎的な社会を利用しない手はないのです。

誰も税金を払わない社会より、いやいやでも税金を収める社会の方が、自分の絶対的取り分は大きくなる。これはここ一世紀を通じて確立されたといってもいい経験則のように感じられる。「全部を税金として収めてから全員に配り直す」という「三四半世紀世紀の大失敗」のおかげでこのことは霞んで見えてしまうが、これが事実であることは、「自由主義」を標榜する各国の国民負担率の推移を見れば明らかだ。

むしろ利他的であるというのは、「自己完結不能なほど利己的」であり、社会に育まれた者のエゴは自己完結不能なほど大きくなり、そしてそれを満足させる唯一の方法が、「オレは勝手に満足する」ではなく「オレはオマエを満足させるから、オマエもオレを満足させろ」という、「過剰利己性の相互承認」なのではないか、というのが現時点における私の仮説だ。

そして、この相互承認の偏在こそが、社会の難点なのではないか。

そこまでは、本書もきちんと指摘しているように思われる。しかし著者は

P. 280
先にも一部紹介したように、僕の知る限り、東大でも霞ヶ関でも一番優秀な連中は軒並み利他的だからです。

と解決策を「利他的な人々」に丸投げしている。これが本書の難点その二。

私は、そうは思わない。というか、「優秀な連中」は勝手に相互承認しあうので難点とはならないと思っている。問題なのは、「承認するにはあまりにしょぼい」とお互いに思っている「優秀ならざる連中」のことなのだ。「精子でしか一等になったことのない」連中なのだ。

彼らは、ある意味「利他性教育」の犠牲者でもある。利他性を貫くほど強くなく、しかし利己性を自己完結するほど諦観できない彼らも、「人に迷惑をかけるな」「人様の役に立て」とさんざん言い聞かされて育って来た。そしていざ社会に出てみれば、誰も「うちで仕事してくれ」「うちに(婿|嫁)にきてくれ」とは言ってくれない。これでは彼らの利他性は行きどころをなくしてしまう。それが内に向かえば自己破壊、外に向かえば通り魔だ。

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P.S. 「利己的」の反対は「自虐的」ではなかろうか。

問題は、ヒーローの不足じゃない。

ヒーローの過剰なのだ。

これを解決する方法は、二つしかない。

「ヒーローはもういらない」と宣言するか、ヒーローになれる場所を増やすか。

私は、後者を望んでいる。だからこそ、「宣言なし」に「ヒーローはもういらない」をきちんと証明する必要があるとも考えている。それはどういうことかというと、もう誰も堤防を手で塞がなくとも、堤防の決壊を心配しなくてもいい社会ということだ。日本もまだそこまで至っていないけど、それに一番近い社会であるという感じが強くしている。だからこそ、身をもてあますヒーローに事欠かないのだけど。

Dan the Lucky Egomaniac