両方出そろったところで比較してやろうか....と思って両方読んだのだが、挫折。

これでは比較できないよ。

なぜ比較できないか、といえば、自民党のそれがマニフェストの体裁を成していないからだ。

定性的で抽象的なことしか書いてない。序文にしてからが、こう。

自民版

変えるなら、ちゃんとした方向へ

今、日本は、そして世界はめまぐるしい変化の中にいます。
そのスピードに対応できるように、日本も、政治も、変わらなければならない。

しかし、やみくもにすべてを「変える」ことが、よいわけではない。
必要なのは、現実を見据えて時代遅れになったシステムをスピーディに改めながら、
もともとある強みをしっかりと伸ばしていくこと。

具体的なのは、「日本」だけ。定量的な文言は、ゼロ。

民主党のは、こうだ。

暮らしのための政治を。

一つ一つの生命を大切にする。他人の幸せを自分の幸せと感じられる社会。それが、私の目指す友愛社会です。税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の立て直しに使う。それが、民主党の、政権交代です。

命を大事にすることも、ムダづかいをなくすことも、当たり前のことかもしれません。
しかし、その「当たり前」が、壊れてしまっているのです。
母子家庭で、修学旅行にも高校にも行けない子供たちがいる。病気になっても、病院に行けないお年寄りがいる。
全国で毎日、自らの命を立つ方が100人以上もいる。
一体、この国のどこに政治があるのでしょうか。

観念的になりがちなことさえ、具象化し、定量化している。

これなら、きちんと批判できるし、実際批判がすでに行われている。「民主党マニフェストに“ダメ出し”するのがメディアの仕事か?」という意見も上がっているが、ダメ出しができるというのは、マニフェストとしてまともだということだ。

自民党のそれは、ダメ出ししようがない。曖昧な方向しか示していないから。言ったこととやったことがどれだけ外れているかを検証しようがない。

自民党のそれは、作文である。それも小学校レベルの。委細を官僚に丸投げしてきた今まではそれでよかったのかも知れないが、国民という「投資家」に出す「目論見書」がこれで投資に踏み切るのは、バブルの頃、右も左も売りも買いもわからぬまま、一株300万円でNTT株を買わされた人ぐらいではないか。

民主党のそれは、論文である。そこで論じられていることには、明快かつ具体的に批判することができる。たとえば「財源それで足りるのか」といった具合に。正直私は民主党の各論には賛成しかねるものが少なくないが、「どっちでもない」はほとんどない。

自民党の「マニフェスト」もどきには、賛成も反対もできない。アタリもサワリもない。そう。科学哲学で言うところの反証可能性がないのだ。

「必要なのは、現実を見据えて時代遅れになったシステムをスピーディに改めながら」。私には、これは自民党が自らを「現実から目をそらし続けてきた時代遅れのシステム」だと認めた証拠にしか見えない。

それが日本のためになるかどうかはさておき、少なくも自民党にとってもっともよいのは、、情緒的で定性的なシステムを論理的で定量的なシステムに改めることであろう。その一番の近道は、政権をおりて、批判される側から批判する側になることではないのか。

私は自民党員ではないし民主党員でもない。が、もし自民党員であれば自民党候補には投票しないであろう。「みなさんとの約束」を守ってもらう一番の方法は、それなのだから。

Dan the Taxpayer