残り物には福がある。

初日に見に行こうと思ったら予約の段階で満席。翌日もそう。本日やっと見れた。

これは間違いなく、映画史に残る作品。その意味において本作品の重要性は、Star Warsに勝るとも劣らない。

この作品を見ることにしたきっかけは、なんといってもこのトレイラー。

これを見て、もう観ずにはいられなくなって。

"Animation"に対する「アニメ」が、ついに3Dでも登場したのだ。「アニメ」は Animation から生まれたけど、もはや英語でも "Anime" としか言えない表現手段になっている。 3D の世界では、 Pixar が "Pixaresque" としかいいようがないほど、"What 3D animations are supposed to be"とでもいうべき表現を確立している。

これに対して、「アニメ」における3Dはなかなかそう言えるものがなかった。2Dの「アニメ」を「より楽かつアニメリアルに」表現する手段としてしか使われてこなかった。そしてそうすればそうするほど、セル(といってもこれも実は今やコンピューターだが)部分との「継ぎ目」が気になる。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破でも、一番気になったのはこの「継ぎ目」だった。

しかし、本作における"OZ"は、違う。

なにしろ元から仮想世界なのだ。「リアル」にしたらむしろ「リアル」ではなくなってしまう。それは 3D CG でなければならず、しかし「サイバー」であってはならない。「サイバー」でよければ攻殻機動隊がすでにある。

細田監督は、モティーフを今のモバイルインターネットに求めた。これが大正解だったようだ。

映画『サマーウォーズ』感想 - 琥珀色の戯言
「きっと監督や脚本家は、『セカンドライフ』が日本でも流行ると思っていたんだろうな……」

いやあ、これは違う。さもなければ主人公の友人の2Dなアバターがあんなにすんなりとけ込めない。

このOZの描写は、Star Wars の SFX や、Pixar の Luxor Jr. に勝るとも劣らないほど、エポックメイキングなものではないか。アニメがもはやAnimationではないように、これはもはやCGであってCGではない。なんとよべばいいのか。「コングラ」?

これだけでも本作はエポック・メイキングで、それを観るだけでも価値があるし、そういう気持ちで本作を見に行ったのだけど、甘かった。これほどいい意味でコテコテの脚本だったとは。

まず、大家族というものをこの21世紀に堂々と持ってくるということ自体がすごい。

映画『サマーウォーズ』感想 - 琥珀色の戯言
僕たちは、ああいうのがイヤだから、こうして核家族化してきたんじゃないのか?

そうなのだ。リアルでは。私自身。東京生まれで父の実家で育ったので、物理的にも心理的にも田舎の大家族のいやなところをさんざん見てきた。カズマを見たときには、ガキだった自分をそこに見いだしてさけびそうになった。OZどころかパソコン通信どころかパソコンすらない往事とあっては、キングカズマになるyよしもなく、家出を繰り返すしかなかったが。

そんな田舎の大家族のいやなところも、本作はコテコテに描写している。あれだけの大家族だと、侘助のような「裏切り者」は必ず出てくる。山を売って留学先にトンズラしたこの侘助もまた、自分の境遇にあまりに似ていてびっくりのキャラだ。もっとも私の祖先が持っていた山だの土地だのは、祖父母の代でほとんど売りつくして、同じトンズラでも私には使えない手だったけれども。

しかし、本作では結局いやなところまで含めて大家族も「捨てたもんじゃないよ」なのに対し、私のリアルではそうならなかったのは、結局のところ、本作のもう一人の主人公といってもいい祖母、栄の違いだろう。まさに陣内一族の要。私のそれはといえば....今は公で話すのは辛すぎる。父のことは話せても、祖母のことはまだ話せない。

感傷的になってしまった。本作は、観た者を感傷的せずにはいられないようだ。これだけでも傑作の証だ。駄作なら他人事モードで「ふーん」とふんぞりかえって観ていられるのだから。

もちろん、コテコテなのはプロットもそう。暗号を紙で解く主人公や、黒電話で世界を滑る栄ばあちゃんは、本当にリアルな場面ではありえない、映画ならではのファンタジーなのは間違いない。しかしそこに、「ジュラシックパーク 」の「Unixなら使える」という台詞に感じるような白々しさは、ない。それがないのは

『サマーウォーズ』はアナログ賛歌か? - Something Orange
ぼくはね、これ、違うと思うのですよ。というか、リアル/ネット、アナログ/デジタル、仮想世界/現実社会といった二項対立的な考え方そのものが既に古い。

からだ。栄ばあちゃんの黒電話や主人公ケンジの紙も大活躍したが、カズマのアバターやSX-9だって大活躍したのだ。リアルかネットではない。アナログかデジタルではない。そして大家族と個人でもない。リアルもネットもであり、アナログもデジタルもであり、そして大家族も個人も、なのである。本作は弁証法的な映画でもあった。

そして、ディテール。本作はリアルな小道具が、ふんだんにアニメリアル化されている。主人公が長野新幹線で飲んでいるのは Dr. Pepper だし、カズマが使っているのは Dell の普通のノートパソコン。侘助のケータイは iPhone で、陣内家に設置された SX-9 (だよね?) に給電するのは、日本海を世界一明るい海にしているイカ釣り船。これらは、アニメリアルになっているだけで、メーカー名とかもぼかさずにそのまま登場しているのもすごい。ちなみに OZ の端末は、ケータイから Windows から Mac から DSi まで、我々が普通にネットに繋いで使う機器そのままだ。

独自の表現、丁寧かつコテコテのプロット、そしてディテールへのこだわり。

本作は、大作にふさわしい要素を全て持っている。

本作を観ずにして、この夏は終わらない。

Dan the Thrilled