英治出版高野様より献本御礼。

政権が変わった日に到着するとはなんというタイミング。

若手官僚たちが、いかに無私であるか、いかにこの国のために働きたいかが痛いほど伝わってくる一冊。新与党のメンバー必読。

と同時に、これほど「優秀な」人々がなぜかくも単純な勘違いをするのかと改めて一有権者として反省せざるを得ない。その「勘違い」について書くことにする。

本書「霞ヶ関維新」は、「霞ヶ関構造改革・NPO法人プロジェクトK - 新しい霞ヶ関を創る若手の会」による、日本への緊急提言。

目次 - 霞ヶ関維新|書籍|英治出版
第1部 日本の現状をどう見るか
1.データから見る日本
2.日本を取り巻く国際環境/近代国家の盛衰サイクルから見た日本
3.安易な悲観論を超えて
第2部 めざすべき国家像と戦略の必要性
1.私たちがめざす国家像
2.めざすべき国家像を実現するための戦略
3.総合戦略の不在の具体例と国民生活への悪影響
4.戦略の不在を助長する霞ヶ関のミクロな問題点
第3部 戦略国家の構築に向けて
1.霞ヶ関構造改革の三つの柱
2.霞ヶ関構造改革を実現するためのプロセスと手段
3.総合戦略本部ができると何が変わるのか
第4部 霞ヶ関構造改革の先にあるもの
1.霞ヶ関構造改革の先にある五つの価値
2.プロジェクトKのこれまでの活動
3.PSRとM&A!――霞ヶ関だけではできないこと
4.プロジェクトKの今後と連携の拡大

彼ら若手官僚は、ある意味この国で最も報われぬ仕事術を強いられている人々である。

P. 113
霞ヶ関で働く国家公務員は、時間的に長く職場に高速されています。キャリア官僚と呼ばれる国家公務員、特に課長補佐クラスまでの若手は、異常とも言えるほどの拘束時間です。各種の過労死関連訴訟で一つの目安とされている「月八十時間以上の残業」がようやく最低ラインで、ひどい場合にはこの二倍以上の残業を強いられています。
当然ながら、私たちはこれを誇っているわけではありません。長い残業時間の大きな要因は業務の薦め方が非効率であるからであり、自省すべき点も多々あります。後述する法案作成過程や国会答弁作成過程のほか、勤務時間を長くしている一因は、霞ヶ関のコンセンサス主義です。

そこまで働いても、100点満点で当然。「てにをは」が一カ所でも間違っていれば、木っ端公務員呼ばわり。それでも折れずに踏みとどまっている彼らは確かに立派だ。しかし現状では踏みとどまっているだけで精一杯で前に進めない。本書は「前に進めさせてくれ」という彼らの叫びなのだ。

そのために必要なのが、「戦略」であると彼らは主張する。そのために「総合戦略本部」を作り、永田町の「おさんどん」をさせるのではなく、そこできちんと仕事をさせてくれ、と。

省益を超えた戦略をきちんと立てよ。

ここまでは、著者らは正しい。

問題は、誰がそれを立てるべきか、である。

申し訳ないが、その権利があるのは彼らではないのだ。

選挙の洗礼を受けた、文字通りの選良である。著者らはあくまでも「査良」であって選良ではない。著者らに許されるべきなのはあくまで戦術どまりであって、戦略は永田町の仕事であるはずなのだ。

企業にたとえればこのことはよくわかる。戦略を立てるのは、株主の信任を受けた役員の仕事であって、雇用された従業員の仕事ではない。従業員の「分際」で戦略を語るのは身分不相応であり、従業員側もこれをよく理解している。彼らは「待遇を改善しろ」とは言っても「権限をよこせ」とは言わない。

ところが面白いことに、有権者という名のこの国の「株主」たちは、なぜか「役員」たちではなく「従業員」たちに戦略の立案と実行を求めるのだ。自らが選任したはずの選良ではなく、新卒採用された「査良」たちを「お上」と呼び、彼らのふがいなさをなじる一方で、いざとなったら「お上」が助けてくれると未だに信じている。「官僚たちの夏」はとうの昔に終わったというのに。

その最も如実な例が、地検特捜部という「役員」より強い「従業員」の存在である。

このことを「株主」のほとんどが当然のことだと思っていることに愕然とする。

「悪者は罰せられなければならない」、そこまではいい。

問題は、誰が罰するか、である。

役員の悪事を罰するのは、役員でなければならない。

従業員にそれをやらせては、ならない。

地検特捜部の人々が優秀であることは疑いない。しかしそれ以上に、彼らは選良ではないのだ。彼らには、本来選良を取り調べる権利はないはずなのである。選良を取り調べたかったら、そういう機関は立法府が用意しなければならないはずなのだ。

ところが、その立法府の持つ力があまりに貧弱なのである。行政府に立法業務をアウトソースせねばならぬほど。とてもじゃないが、内部捜査機関を自前で持つなどということは出来ない。

新政権が一番正さねばならぬのは、この点ではないか。

そのためには、「勘違いした」株主に「お手盛り」と言われようが何と言われようが立法府にもっと資源を配分せねばならない。本書の著者らのような「やりがいに飢えた」関連会社とはいえ他者の従業員を自ら雇えるほど。著者らもそれをよしとするだろう。彼らがやりたいのはあくまで仕事であって霞ヶ関の保全ではないのだから。

選挙で選ばれた奴が一番偉い。

これこそ、間接民主主義の原点である。

あまりに多くの問題を抱えたとき、何から手をつけていいのかわからなくなったとき、それを切り抜ける最もよい方法は、原点にもどるということである。

新政権は、それをやるべきである。

そして官僚たちも、面従腹背のために「ぐぬぬ」の無駄遣いをやめるときである。「元祖」お役所仕事をはじめるべきときである。明らかに永田町に属する仕事であれば、たとえ「自分たちの方が知っているしきちんと出来る」と思っても None of our business と言ってしまうべきときである。

そう言ったものたちを、どんどん霞ヶ関から永田町に「引き抜いて」しまえばよいではないか。

折角概算要求をやり直しにするのだから、立法府の分はがばっと用意してもいい。選良一人当たり10億としても4800億円。「勘違いした」株主から見るとどえらい金額に見えるが、霞ヶ関が采配する総額200兆円のわずか1/400だ。これだけあれば、選良が著者らをきちんと「引き抜く」ことも可能になるだろう。

とはいえ、それをやるのに今日国会を開いて明日可決するというわけにも行かない。それまでどうするか。

とりあえず小沢法務大臣というのは、どうか。

我ながら妙案だと思うのだが。

Dan the Taxpayer