出版社より献本御礼。

これほどわかりやすくかつ面白い経済学史は初めて読んだ。

それだけに、思わずにはいられない。

著者の史観は抑えた方がよかったのではないか、と。

本書「対話でわかる痛快明快経済学史」は、歴代の経済学者本人たちと直接対話する形で、経済学史を学ぼうという一冊。

目次
第1章 アダム・スミス…自由な市場はみんなを豊かにするのだ
第2章 リカード…この世に無用な人間なんていない
第3章 マルクス…搾取は弱肉強食社会の悪意の産物などではない
第4章 ジェボンズ、メンガー、ワルラス…“限界革命トリオ”が新時代をもたらした
第5章 マーシャル…「短期」と「長期」で限界革命以前と以後を総合できる
第6章 ケインズ…人はなにも買いたくなくても、貨幣自体を持ちたがる
第7章 ヒックスからサミュエルソンへ…硬直価格のマクロ教科書体系はどこで始まったか?
第8章 フリードマンと反ケインズ革命…政府による愚かな介入が経済をダメにする
終章 そして、経済学の現在へ

とはいっても、目次を見ればわかるとおり、本書で対話する歴代の経済学者たちはいずれも故人。そこで彼らには降霊してもらうことになる。本書では、経済学部の生徒である江古野ミクが、「謎の占い師おじさん」という霊媒を通して経済学の巨頭達にインタビューし、それを担当教授の根上のぞみと論考するという形をとっている。

わかりやすさという点では、本書は最高である。なにしろ「本人たち」と直接話しをするのだから。問題は、それが本当に本人たちなのか、という点ということになるだろう。厳密には彼らは「本人」ではなく、著者がエミュレートした人格なのだから。

本人が本当にそう言うか、はたまた「彼(彼女は本書には未登場)がそんなこと言う分けない」かという論争は、プロにまかせることにしよう。私はそこまで判断できるほど経済学史に通じているわけではない。しかし私の知る限りにおいて、著者のエミュレーションはかなりきちんとしている。それぞれの「本人」の著作--テキスト--のみならず、それぞれの「本人」が目にした時代--コンテキスト--をきちんと履修した上で「本人」になりきっている。実に痛快かつ明快だ。

そこで留めておけば、問題は一つで済んだ。すなわちエミュレーションの質だ。

しかし本書では、終章に著者本人--厳密には「謎の占い師おじさん」が登場する。そのおかげで明快度は増したのだが、痛快度ががくん落ちてしまった。読者はここで迷ってしまうのである。やっぱり「本人」でなくて「著者が「本人たち」かくあるべきという思い込み」に過ぎなかったのか、と。

そして、終章で種明かしをしたことにより、もう一つ問題が生まれたことになる。

著者の史観は正しいのか、という。

それがどんなものであるかは本書で直に確認していただくとして、著者の経済学史観は、以下の台詞に凝縮されている。

P. 310
ところが、このような経済学の基本姿勢を理解しない者が、経済学を曲解し、強欲と弱肉強食の世の中を推進する大義名分にしてきました。誰もが良くなる「ウィン・ウィン」こそが経済学の根本原理なのに、それとは全く逆の、トクの裏にはソンがあり、自己利益のためには他人を蹴落として当然とする「反経済学的」な目からの読み込みがなされたのです。

ちょっと待っていただきたい。「誰もが良くなる「ウィン・ウィン」」というのは、アプリオリな前提にできるのだろうか。まずはこの点を経済的にきちんと証明しておかねばならないのではないか。

というわけで、以下素人なりの証明を試みる。

まず[経済学 = 物理学 + 心理学]であると定義する。うち、物理学の世界では「ウィン・ウィン」はエネルギー・質量保存則より成り立たない。よって経済学において「ウィン・ウィン」が成り立つためには、心理学において「ウィン・ウィン」が成立する必要がある。

そして今のところ、心理学において「ウィン・ウィン」が成立しないという現象は観測されていない。

このことは拙著「弾言」でも主題として取り上げた。[経済学 = 物理学 + 心理学]は、同書では[カネ = モノ + ヒト]と表現される。なぜ「「はだかの王様」の経済学」がなりたちうるのか?、ヒト、すなわち心理学では保存則が働かないからだ。経済が物理と直結している状態では、バブルはありえない。

しかし今、経済は物理と公式に分離している。ニクソン・ショック以降の世界は、心理こそが経済の主体となったことが公知である世界なのだ。

その意味で、行動経済学こそが経済学の新たな王道なのだと私は思う。しかし著者も含め「主流経済学者」たちはあくまでも行動経済学は「主流経済学」を補間するものにすぎないという。端から見ていると現実逃避にしか見えない。

とはいえ、「主流経済学者」たちがただ理論を弄んでいただけの存在であるという立場を私はとらない。本書に登場する主流経済学者たちは、いずれも傾聴するに値する存在だ。それをこれほど痛快明快に学べるという点で本書はイチオシである。

しかし、心理学こそが経済学の新たな主体ということを認めない限り、「主流経済学」が経済にたいして支離滅裂であるという状態は終わらないだろう。これまた「主流経済学」的には、経済学者にとってのインセンティヴは「経済」よりも「学者」にあるからだというオチなのだろうか....

Dan the Economic Animal