双方とも献本御礼。

「図で考えるとすべてまとまる」はエリエス・ブック・コンサルティング古谷様より。「「結果を出す人」はノートに何を書いているのか」は著者およびなぜか女子勉の中の人より。イラストまでありがとうございます。

東大合格生のノートはかならず美しい 」のヒットもあって、今「ノート本」は巷にあふれていて、私のところにもどっさり献本されて来るのだが、この二冊は外れない。

ただし、この二冊は傾向がちょうど正反対にある。その点について書くことにする。

「結果を出す人」はノートに何を書いているのか」と「図で考えるとすべてまとまる」の一番の違いは、ノートの用途。「書くため」指向なのが前者、「読むため」指向なのが後者。どちらもノートの目的として不可分であり、どちらも「正しい」ノートの使い方のだが、私自身を強いて分類すると後者ということになる。

私のノート術、あるいは「非」ノート術に関しては、過去に何度か触れている。

達人の仕事術:“忘却力”で仕事する──404 Blog Not Foundの小飼さん - ITmedia Biz.ID
誰かに会う約束など、人が絡むイベントは必ずMacのスケジューラ「iCal」にメモするが、それ以外は基本的にメモを取らない。大切な予定を忘れてしまうリスクがあるようにも思えるが、逆に自分の“忘却力”に信頼を置いている。大事なことだったら忘れるはずがないし、どうでもいいことであれば忘れる。いわば、脳の力でふるいにかけるのだ。「今のところ、忘却力に勝る情報整理ツールはない(苦笑)」

そんな私なので、ノートは基本的にとらない。強いてとるばあいも、いきなり MacBook か iPhone で「清書」する。「ノートは仕事で三冊使う」という「「結果を出す人」はノートに何を書いているのか」とは、まさに対極である。これに対し、「図で考えるとすべてまとまる」で使うノートは基本的に一種類、方眼マスのノートのみである。これ、実は米国の研究者が愛用している Lab notebookそのものである。米国のそれは、A4 に近い 8 1/2 x 11 (レターサイズ)の黄色地の方眼ノートで、使うときにカーボン紙をはさめばまさにとりかたまで Lab notebook になるのだが同書ではさすがにそこまでしていない。

と書くとピンと来た方もいるだろう。そう。この場合のノートというのは、先発明主義をとっているかの国においては、特許訴訟において「決定的な証拠」としても扱われる大変重要なものである。それだけ重要なものなので、その取り方もある程度きちんと手ほどきしてくれる。もはや20年以上前のことではあるが私もその手ほどきをおぼろげながら覚えている。

404 Blog Not Found:ありそでなかったノート術 - 書評 - アタマが良くなる合格ノート術
繰り返す。ノートの取り方は、独学では意外とわからない。こういう時こそ術である。

素直に従うにしても、私のように「ぐれる」にしても、義務教育の段階で教えるべきなのではないか。さすがに小学生では少し速いかとも思ったが、今壁にぶちあたっている小学五年生の長女は確実に恩恵を受けそうだ。理科室での実験がある中学であれば確実に教えられるし、高校ともなれば、それを成績の判定基準にしてもよさそうだ。

とはいっても現実はそうなっていないので、足りない分を自ら補わねばならないのだが、その点において「図で考えるとすべてまとまる」が素晴らしいのが、本物の手書きノートの写しがそのまま使われていること。

404 Blog Not Found:ありそでなかったノート術 - 書評 - アタマが良くなる合格ノート術
ただし、洗練されすぎているきらいもある。特にノートのサンプルの時が写植というのはこの場合いただけない。ここは手書きにして欲しかった。

という不満が同書で一気に解消されているのだ。「「結果を出す人」はノートに何を書いているのか」にも手書きのノートの写しは一応出てはくるのだが、それはノートブック込みの写真であって、「図」とは呼べない。

その代わり、「「結果を出す人」はノートに何を書いているのか」のノート、そしてノートブック(電子的手段含む)は実に多彩である。道具に凝る人はこちらだろう。特にシステム手帳を使っている人は、どんなリフィルをどう使うかがとてもよくわかる。

それにしてもありがたいのは、私は「ノートは手書きでなければならない」時代より後に社会に出たこと。図版はとにかく、文字に関しては走り書き程度のものさえコンピューター(iPhone含む)がなければ話、いや字にならない。カタカナの「ミ」なんて、もう何千回忘れているかわからない。現代手書きでなければならないものというのは、サイン程度である。いや、「手で書いた方がいい」ものは私ですらあるのだけど(たとえば数式とか)、しかしそれは「方がいい」であって「でなければならない」ではない。

「書くか」「打つか」の違いはあれど、ノートの必要性というのはますます増しているのは確かなようだ。まるでOA(死語?)が紙を減らすどころか紙を増やす方向に働いたかのように。だったら一度は習っておいてもいい。従うにしても背くにしても。

Dan the Lazy Note-Taker