なんで「政権スタート後、まだ2日目」の、マニフェストにも明記していない「口約」にネットがこれほどこだあわっているのか、twitter経由で言語化に成功したのでまとめ。
きっかけは、こちら。
http://twitter.com/tsuda/status/4056371810民主党記者クラブ話は普通に考えて何十年も続いた仕組みを数日でドラスティックに変えるって並大抵の努力じゃ無理でしょ。
これに対する私の答えが、これ。
Twitter / Dan Kogai: 「努力」が必要と思うから変えられない。「あれは政府で ...「努力」が必要と思うから変えられない。「あれは政府ではなく自民党にくっついていたのだからうちら関係ないし」とやってしまえば一瞬で変えられた。「努力」するべきでない時が確かにある。
そう。「努力」。クローズドな環境でものをいうのが、努力。そこに「内輪」しかいなければ、たとえうまく行かなくとも、努力していれば「仕方がない」と許してもらえる。自民党の政権末期の「努力」は、それは涙ぐましいものだった。ネガティブキャンペーンまで含めても。
その「努力」に疲れたからこそ、与党を交代させたのではないのか。
しかし勘違いしてはならない。「努力」からの開放は、「はじめからうまく行く」ではない。むしろ、「うまく行かないことをなるべく早く明らかに」することにある。
http://twitter.com/tsuda/status/4056896275つーか、そりゃ開放すりゃいいに決まってるし、この件に関してはヘタレだなとは俺も思うけど、実際やろうとしても思うようにいかないことって多いぜ。関わってくる人が増えてくるとさ。それを本当にくだらない理由でオープンにできなかったりすることも含めてストレスになるし。
そう。実は参加者が増えてくると、クローズドな場もクローズに感じなくなったりする。そうなると、クローズであることの欠点とオープンであることの欠点の両方を背負い込むことになってしまう。だから、オープンにする時には、小出しにするのではなく一気呵成に、構築的にではなく破壊的にやってしまうべきなのだ。
http://twitter.com/dankogai/status/4057073010オープンにするというのは、思い通りに行かないことを受け入れること。策に溺れるのはいつだって策士。
その意味で、「口約破り」は「努力の無駄遣い」なのではないか。
こういうのも何だが、前与党の時代は、「誰が見てもうまく行く」ことをうまくやっていた、それをやりつくしてもなおうまく行くと言い続けてきたことに、自らも気がつかなかったからこそ下野させられた。その意味で、現野党は「おいしいところを食い尽くされた」ところから出発しなければならない。
成功して当たり前の時代から、失敗して当たり前の時代へ。
そういう時代にうまくやっていくには、「以下に速く失敗し、以下に早く反省するか」しかない。なぜオープンなのか。その方が速く失敗し、早く反省できるからだ。「うまいやり方」がはじめから分かっているのであれば、クローズにして「ノイズ」を減らした方がいいに決まっているではないか。
もちろん、どれだけ失敗の余地があるかは部門によっても違ってくる。宇宙開発のように「90%は失敗」でなければならないものもあれば、財務のように「いくら失敗が必要だからといって、一円もずれてて『てへっ』はないだろ」というものもある。その意味で、今回の組閣はなかなかいけているのではないか。極端な話、藤井国土交通相、前原財務相だったとしたら、とても記者クラブがどうのなどと言っている気分にはならない。
しかし結局のところ、オープンがうまく行くかどうかは、政府ではなく有権者にかかっている。有権者が「失敗許すまじ」一辺倒だとしたら、政府の態度もまた元の木阿弥だろう。
http://twitter.com/dankogai/status/4057558726なぜオープンに抵抗があるかといえば、「とちり」が怖いから。なぜオープンにするべきかといえば、「とちり」恐怖症を克服するべきだから。私が「あの」公約反故を他の公約反故より気にするのは、結局「とちり」を許さない国民に、「とちらない」ことで答えようとする政府が変わらないと感じたから。
お互い、「とちる」ことにもっと慣れる必要があるのだ。
マスメディアにそれがわかっていないのは、前首相の「とちり」ばかり報道してきたことで十二分に証明されている。政権交代が必要なのは、政府だけではない。「誰が治める」だけではなく、「誰が報じる」かもまた、変わる必要があるのだ。
新聞労連の抗議声明、次官会見廃止「新たなメディア規制」こそ歴史に名を汚すことを自覚すべき - ガ島通信変化は小さいですが、確実に起きています。民主党の逢坂誠二議員は、Twitterで「昨日、総理が決まり組閣。現在、副大臣や政務官の人選中。明日の本会議で、常任委員長が決まる。徐々に政権の体制が決まりつつある。今後、具体的に政策が動き出し行きます。こんな中で、もう既に「公約破り」とか非難の声があるが、ちょっと気が早すぎるかも。政権スタート後、まだ2日目です。」と発言しましたが、ネット上で批判が巻き起こり、数時間後に「記者クラブの件、マニフェストじゃないにせよ、選挙前に鳩山現総理が発言しているのですから、しっかりと実行すべきです。」と軌道修正しました。
政治家に限らず、自ら語り、自ら正すことが当たり前となる時代に、「正しい答え」テンプレートにそった言葉しかもたぬ者は不要を通り越して有害である。政府の間違いが政府にしか直せないのであれば、民主主義は不要を通り越して無駄である。
なぜオープンなのか?
速やかに間違い、速やかに直すためだ。
それだけのことである。
ごめんで済めば警察はいらない?
ごめんがなければ民主主義はいらない!
Dan the Man to Err
そんなUNIX系システムが分かる人にしか理解不能な例をあげられても・・・