文藝春秋下山様より献本御礼。
これで腑に落ちた。
なぜグリゴリー・ペレルマンが、フィールズ賞をはじめとする数多の賞を辞退しつづけたのか。
世捨て人だからではない。
謙虚からでもない。
ましてや反骨だからでもない。
ペレルマンにとって、それがたった一つの冴えたやり方だったからだ。
本書「完全なる証明」は、数学ではなく、ある数学者と彼を取り巻く環境について書かれた一冊。本書を読んでも、残念ながら - 本書の主人公にとっても - ポアンカレ「予想」を主人公がどうやって「定理」にしたのかは理解出来ない。そして(主人公にとってはどうでもいいが)読者にとって有り難いことに、本書を読み解くのに数学の才能は不要である。
目次- 序章 世紀の難問を解いた男
- 一〇〇万ドルの賞金がかけられた数学上の七つの難問のひとつポアンカレ予想。それを解いたその男は、名誉も金も全て拒否し、森へ消えていった
- 第1章 パラレルワールドへの招待
- 七〇年代のソ連の子どもたちは、全土で毎朝同じ時間に、学校に同じ服で出かけ、同じ内容を学習した。その一人だった私は別世界の存在に気づく
- 第2章 創造への跳躍
- 旧ソ連で、科学はイデオロギーに従属した。音楽と詩を愛した天才数学者コルモゴロフは、イデオロギーの砂漠に奇跡のようなオアシスを作り出す
- 第3章 天才を育てた魔法使い
- 自らは天才ではない。しかしその魔法使いは、才能を見いだし育てた。その教育法の秘密は、子どもたちに説明させ、それに耳を傾けることだった
- 第4章 数学の天使
- 才気走った生徒ではない。「それを超えるのはまた違った種類の人間」。レニングラード第239学校の数学教師リジグは、数学の天使と出会う
- 第5章 満点
- ソ連の大学はユダヤ人の入学に厳しい制限を課していた。それを突破するための方法の一つが、数学オリンピックの代表選手に選ばれることだった
- 第6章 幾何学の道に
- ペレルマンは、大学院進学に向けて「幾何学」を専攻する。一方、数学クラブで教師役をつとめることになるが、生徒に自分と同じ完璧さを求める
- 第7章 世界へ
- ゴルバチョフ政権下でグラスノスチが始まる。ソ連の数学者たちは、初めて自由に西側の数学者たちと交流を持ち始める。世界へと誘った幾何学者
- 第8章 アメリカでの研究
- 渡米したペレルマンは、アメリカの数学者が二〇年前に試みてなしとげられなかった「ソウル予想」の証明を、たった五ページの論文で完成させる
- 第9章 その問題、ポアンカレ予想
- 球や箱や丸パン、そして穴のない塊の表面は、本質的にはどれも同じだ。だが次元をひとつあげるとどうだろうか。これが与えられた究極の問いだ
- 第10章 証明現る
- インターネット上に、忽然と現れたその証明が、数学界に衝撃を与える。ペレルマンは、講座に出席し、丁寧に自分の証明の説明を始めるのだが。
- 第11章 憤怒
- 二人の中国人数学者が、自分たちこそが、ポアンカレ予想の完全な証明をなしとげたのだと発表する。ペレルマンにとって数学は別の顔をみせる
- 第2章 完全なる証明
- 一〇〇万ドルの問題は、完全に解けたのだ。クレイ研究所は授与のための準備をはじめる。が、その頃ペレルマンは、かつての師との連絡も絶った。
- 著者あとがき
- ソースノート
- 補遺1 コルモゴロフの四つ穴ボタンの解答
- 補遺2 ケーニヒスベルグ橋の問題の証明
- 訳者あとがき
ロシアでユダヤ人として生まれたグリーシャ(グリゴリーの愛称) は、不運ではあったが不遇ではなかった。共産主義政権における人種差別の激しさを本書で読者は目の当たりにすることになるが、しかしそれが主人公の発育の邪魔になることはなかった。主人公は反ユダヤ主義的共産国家という砂漠に、コルモゴロフが築き上げたオアシスのなかで懇ろに育てられる。この「不運でも優遇」というのが、グリーシャという謎を読み解くカギである。
そんなグリーシャが直面した初めての不遇が、ポアンカレ予想の完全な証明だっただなんて、なんという晴天の霹靂なのだろうか。
そう。不遇。グリーシャにとってフィールズ賞も一〇〇万ドルの懸賞金も、むしろ不遇度を上げるための道具立てに過ぎないのだ。どちらも自らの証明の証明には少しも貢献しないのだから。
それでは、グリーシャは一体どうして欲しかったのか。
答えは、目次に書いてある。
「説明させ、それに耳を傾けること」だ。
これこそが、グリーシャが求め、そして得るべき報酬だったのだ。
耳を傾ける人は、誰でもよいというわけではない。説明を理解できる人でなければならない。不運なことに、問題が高度になればなるほど、耳を傾けられる人は少なくなっていく。そんな数少ない人の一人が、マイケル・フリードマンである。彼は四次元の場合にポアンカレ予想が成立することを証明し、フィールズ賞を受賞している。ペレルマンの業績を最も評価し寿ぐべき立場にいる人だ。しかし、彼は新聞のインタビューでこう言い放った。
P. 226あろうことか、フリードマンはペレルマンの仕事を、トポロジーにとって「ちょっと残念なこと」だと述べていたのだ。ペレルマンがその分野で最大の難問を解いてしまったせいで、いまやトポロジーは魅力を失い、結果として「今いるような才能あふれる若者たちは、もうこの分野からいなくなってしまうだろう」と。
これで打ちのめされぬだとしたら、研究者ではない。
Sidney Sheldon の傑作「ゲームの達人」では、家業を継がせたがった母が、息子の絵の才能を批評家につぶさせる実に痛いシーンが登場するが、それを思い起こさずにはいられなかった。息子はそれで壊れてしまうのだが、それはさておき、「わかる人」にわかることを拒絶されることは、そうでない人にそうされるより遥かにダメージが大きいことは、Sheldonを読まずともわかる。
404 Blog Not Found:好きを貫いている者の礼儀彼を一度目にした者であればだれにもその面白さがわかる Larry の知られざる側面に触れたのは、Encodeを開発したことがきっかけだった。私がEncode 1.0をリリースした時に、彼は私に一通のMailをくれたのだ。それは、日本語でこう締めくくられていた。otsukaresama deshita! oyasumi nasai!向こう百年、便所掃除を嬉々としてやっていけそうな気分になった一言だった。
もし私がこの時に「EncodeはPerlにとってちょっと残念なことだ」「今いるような才能あふれる若者たちは、もうこの分野からいなくなってしまうだろう」と言われたら一体どうなっていたか。私ですら自殺していたかも知れない。
とはいうものの、不理解による不遇という不条理は世の日常でもある。数学界もその例外でないことは、ガロアとアーベルの名を挙げるまでもないだろう。むしろそちらこそがこの世においては「自明の解」であり、一生それに当たらないほど幸運な人生こそが「解なし」なのだ。
だからこそ、グリーシャは、彼にしか出来ないやり方で、その不条理に対する解を突きつけたのだ。
現在もペレルマンと連絡を取り合っていると思われる唯一の人物、グロモフはこう言い捨てる。
P. 281「ええ、たしかに、クレイはビジネスマンです。でも、決定を下すのはペレルマンと同じ数学者たちではありませんか」。私はロシア語で「決定を下す」と「解決する」の両方の意味を持つ言葉で反論した。
「あの数学者たちは、クレイの尻馬に乗っているだけさ!」グロモフはいらだちを隠さなかった。
「やつらが解決するだと!解決してもらうことなどどこにある!彼はすでに定理を証明したんだ。この上何を解決する?解決を要することなど何もありはせん!彼はあの定理を証明したんだ」
あなたがグリーシャだったら、一体どうしていただろうか。
Dan the Lucky One
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