このニュースを受けて、@kirikと談義した際に読み返した。
「キリスト教は独善的」と小沢氏、仏教は称賛 - MSN産経ニュース民主党の小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で全日本仏教会の松長有慶会長と会談後、記者団に宗教観を披露した。この中で小沢氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。
そして実に興味深いことを発見した、というより「それ」を発見できないことを発見した。
本書"The God Delusion"がどんな本であるかは、改めて紹介するまでもないだろう。「神は妄想である」として邦訳もされている。
神は妄想である:ハヤカワ・オンライン人はなぜ神という、ありそうもないものを信じるのか? なぜ宗教だけが特別扱いをされるのか? 「私は無神論者である」と公言することがはばかられる、たとえば現在のアメリカ社会のあり方は、おかしくはないのか……『利己的な遺伝子』の著者で、科学啓蒙にも精力的に携わっているドーキンスはかねてから宗教への違和感を公言していたが、本書ではついにまる1冊を費やしてこのテーマに取り組んだ。彼は科学者の立場からあくまで論理的に考察を重ねながら、神を信仰することについてあらゆる方向から鋭い批判を加えていく。宗教が社会へ及ぼす実害のあることを訴えるために。神の存在という「仮説」を粉砕するために……古くは創造論者、昨今ではインテリジェント・デザインに代表される、非合理をよしとする風潮が根強い今、あえて反迷信、反・非合理主義の立場を貫き通すドーキンスの、畳みかけるような舌鋒が冴える。発売されるや全米ベストセラーとなった超話題作。Table of Contents
- Preface to the Paperback Edition
- Preface 1
- 1 A DEEPLY RELIGIOUS NON-BELIEVER
- 2 THE GOD HYPOTHESIS
- 3 ARGUMENTS FOR GOD'S EXISTENCE
- 4 WHY THERE ALMOST CERTAINLY IS NO GOD
- 5 THE ROOTS OF RELIGION
- 6 THE ROOTS OF MORALITY: WHY ARE WE GOOD?
- 7 THE 'GOOD' BOOK AND THE CHANGING MORAL ZEITGEIST
- 8 WHAT’S WRONG WITH RELIGION? WHY BE SO HOSTILE?
- 9 CHILDHOOD, ABUSE AND THE ESCAPE FROM RELIGION
- 10 A MUCH NEEDED GAP?
- Appendix:
- A partial list of friendly addresses, for individuals needing support in escaping from religion
- Books cited or recommended
- Notes
- Index
ただし私の手元にあるのは原著のペーパーバック版のみ。読むのであればハードカバー版でなくこちら。"Preface to the Paperback Edition"で、ハードカバー版に対する質疑応答が入っていて、その分価値が高い。格調高くかつ平易な文章なので、英語がそれほど得意な人でなくとも読み通せそう。ただし宗教と科学に関連する固有名詞ばかりは平易になりようがないので、邦訳で予習しておくとよいかも知れない。この話題に関しては私は英語の方が楽なので、もし私が邦訳を読むとしたら、逆に「日本語であれどういったっけ」を調べる読み方をするかも知れない。
神というものを信じる人も信じぬ人も、もはや避けては通れぬ感のある本書であり、@hardbossa++がまとめてくれた論考でも取り上げて然るべき、そのために眺めていたらまたも読みふけっているうちに、紹介する機会を逸してしまった。その代わり、実に興味深い発見をした。
宗教からの離脱を強く薦め、無神論者に対してすら、「無神論に引きこもる」ことなく信者である隣人に離脱を解けと説く著者は、仏教をどう扱っているのか。
ありがたいことに、本書には実に詳細な索引がついている。"Buddhism"が登場するのはわずか三カ所、うち本文中にはわずか二カ所である。
P. 59I shall have Christianity mostly in mind, but only because it is the version with which I happen to be most familiar. For many purposes the differences matter less than similarities. And I shall not be concerned with other religion such as Buddhism or Confucianism. Indeed, there is something to be said for treating these not as religions at all but as ethical systems or philosophies of life.
儒教や仏教は、宗教ではなく道徳ないし哲学というわけである。
そしてもう一カ所は、ここである。
P. 232But, as with genes, some memes survive only against the right background of other memes, leading to the build-up of alternative memeplexes. Two different religions might be seen as two alternative memeplexes. Perhaps Islam is analogous to a carnivorous gene complex, Buddhism to a herbivorous one.
イスラムは肉食系意伝子、仏教は僧職系、失礼、草食系意伝子というわけである。
宗教ではないが、意伝子であるのが、大著である本書にごくわずかに登場する著者の仏教論である。
しかし本書にはごくわずかしか仏教が登場しない理由は、著者が仏教に関して無知であるからでは決してないことが、Noteに登場する最後の一カ所で明らかとなる。
P. 44395 Julia Sweeney is also right on target when she briefly mentions Buddhism. Just as Christianity is sometimes thought to be nicer, gentler religion than Islam, Buddhism is often cracked up to the nicest of all. But doctrine of demotions on the reincarnation ladder because of sins in a past life is pretty unpleasant. Julia Sweeney:'I went to Thailand and happened to visit a woman who was taking care of a terribly deformed boy. I said to his caretaker, "I's so good of you to be taking care of this poor boy." She said, "don't say 'poor boy', he must have done something terrible in a past life to be born this way'.
非暴力的なことにかけては一番視されている仏教であるが、前世の罪への罰として輪廻の階段を突き落とされるという教義は不快だ、というわけである。
これこそ、私が仏教に関してもっとも違和感を感じている部分なのだ。
404 Blog Not Found:書評 - 仏教は心の科学とはいえ、私は輪廻転生の概念だけはまだ飲み込めない。私にしてみると、この輪廻転生というのは諸行無常と矛盾するとしか思えないのだ。いや、諸行無常だから輪廻転生するとスマナサーラ長老はおっしゃるのだけど、輪廻転生というとあたかも自分の中の変わらない何かがそのままの形、すなわち無常でない形で現れるように思えるのだ。
後に私は長老と対談するのであるが、残念ながらこの点に対して問うだけの時間がなかった。次にお会いするときに是非聞いておきたい。ただし、ヒントはもらった。ヒンドゥ教である。
輪廻という概念は、仏教オリジナルではない。むしろヒンドゥ教こそがその原点であろう。本書がキリスト教からの引用なしではなりたたないように、仏陀もまたヒンドゥ教からの引用なしには説法がなりたたなかったはずだ。そこに、タイの看護士のような 誤認 = delusion が生じる余地はありはしないか。
そして、仏教を誤認しているという点においては、日本の「仏教」はすべてこれにあてはまる。仏陀再誕生などというのに至っては、入滅したとされる仏陀に対する最大限の侮辱であり、本書の批判対象である 「アブラハム系一神教」(Abrahamic Monotheism)であれば、十字軍を繰り出されても聖戦を布告されてもおかしくないことは本書を読めばよくわかる。
しかし、そうはなっていないどころか、タダでアニメ映画を見れることがネタになっている。
著者はこのことをどう見るのだろう。
本書は、夭逝した作家 Douglas Adams に捧げられている。
Preface'Isn't it enough to see that a garden is beautiful without having to believe that there are fairies at the bottom of it too?'
「妖精がその下にいなくたって、庭の美しさを観れれば十分ではないか」。
日本はまさにその境地にあるのではないか。
いつか著者に問うてみたい。
神なき教えもまた妄想なのか、と。
Dan the Atheist According to the Author
それから、東大寺「奈良の大仏」の開眼供養では、インド人僧侶が、重要な役割を担った歴史的事実があります。要するに、当時でさえ、インド人僧侶から、直接、仏教を学ぶ機会が、日本ではあったわけです。それが多少変異したとしても、まったく逆の意味になるということは、あまり無いと考えて構わないと思います。
インド仏教が後代、中国の儒教や道教に、影響を及ぼしたことは、否定できないでしょう。どういうわけか、日本では、中国思想が、仏教に影響を及ぼした面のみが強調されますが、それだけとは限りません。井筒俊彦が、その点を、たしか『意識と本質』の中で述べています(後代の中国思想に対する、仏教の理論的影響は大きいという趣旨で…)。
また、中国禅などと言ったりしますが、そもそも、中国に禅を持ち込んだのは、インド人のダルマ大師です。ですから、道元などは、仏道が三国(インド・中国・日本)伝来であることを肝に銘ずべきだという趣旨のことを『正法眼蔵』の中でも述べています。