集英社新書編集部より献本御礼。

著者のミステリィ(著者風の表記)にはいまいち乗れない私も、本書は納得づくしであった。著者のノンフィクションとしてはこれが一番だと弾言する。

自分の「手口」とここまで同じだとは。

本書「自由をつくる 自在に生きる」は、建築工学者を経て作家となり、そしてますます自由人としての風格を強めている森博嗣による、自由論兼自由術。

目次
まえがき - 「自由」に対する誤解
1章 人生の目的は自由の獲得である
2章 他者からの支配、社会からの支配
3章 身近に忍び寄る支配
4章 支配に対するレジスタンス
5章 やっかいなのは自分による支配
あとがき

「手口」にかんしては「ここまで似ている」と書いたが、「動機」に至っては私と100%同じだから呆れてしまう。

自由を目指して生きる理由は、それがとんでもなく楽しいからだ。

そう。自由を獲得する過程というのは、とんでもなく楽しいのだ。

ただし、痛くもある。

P. 47
自由を前にして尻込みするのは、動物的な「人間の性」だといえる。
しかし、知性をもって前に進むことが大切だし、それこそ「人間的」な選択だ、と僕は思う。

本書は著者が自由というものをどう考えているかという自由論であると同時に、いかに痛みを回避しつつ 、それを楽しむかという自由術でもある。それがいかに徹底しているかといえば、ミステリィ作家としての活動を、金という自由を得るための道具を得るための手段だと言い切るところにも表れている。決して書くことが嫌いではないが、得意どころか苦手だと言い切る著者は、まず売れる作品を書いた後、書きたい作品を書いた。

逆では、ない。

私自身、同じ順序で書いてきた。プログラムも文章も。著者と異なるのは、少なくともプログラムに関しては、著者が文章を書くよりもやや好きで、そしてずっと得意だったこと。その差が、「咲いた年齢」の違いになって表れたのかもしれない。建築工学者として比較的自由な著者が「すべてがFになる」で華麗にデビューしたのは、今の私の年齢に近い。私がCTOを引き受けたのは、30歳になる直前だった。

実は森作品を「上手だな」とは感じても「美味だな」とは思えない理由の一つが、私がプログラマーだということにもある。「すべてがFになる」を読了して真っ先に出た感想が、「いまどきunsigned shortはないだろJK」というものだった。それが何を意味するかは同作で確認していだくとして、ある職業を扱ったフィクションを、その道のプロが「ないわー」と感じることはよくあることである。映画の Jurassic Park の"Unix"のようなものか。

しかし、自由の獲得、あるいは支配からの脱却に対する姿勢は、「開花年齢」が遅い分ずっと徹底している。その手口をわずか714円で公開してくれるのはありがたい。読者にも、そして著者にも。まだ金に不自由しているのであれば「セミナーやればもっと儲かるのに」となりそうなものだが、著者はすでにそこからは自由になっているのだ。

P. 126
非合理な常識よりも、非常識な合理を採る。それが自由への道である。

非合理な常識に安心していたいのであれば、本書に触れてはならない。自慰を覚えた猿と同じ運命をたどることになる。ポルノよりずっと危険である。

しかし、あえて非常識な合理を採ることを選ぶのであれば、本書は自由というジャングルの中で、かけがえのないコンパスとなってくれるだろう。

健闘を、祈る。

Dan, Freer the Man than Ever