「やればできる」は編者より、「無頼化する女たち」は著者と編者の双方より献本御礼。

この二冊、両方読まねばならない。

なぜならば、「やればできる」が「失敗」作だからだ。

そしてその「失敗」を見事にとりつくろってくれるのが、「無頼化する女たち」だからだ。

誤解しないで欲しい。「やればできる」は、自己啓発本としては充分以上な品質であり、その点では以前の著書より著者はさらに成長してている。だから買っても損はしない。「元が取れる」という点において、著者の評価は本書で上がりこそすれ、下がることはない。

「やればできる」目次
プロローグ
「やればできる」、本当の自己啓発は助けあいにあった!
第1章 「しなやか力」
まわりに貢献できるような自分の“長所の種”を見つける
第2章 「したたか力」
自分の長所を伸ばすことにひたすら集中する
第3章 「へんか力」
絶え間なく変わり続ける
第4章 「とんがり力」
自分が力の中心になる世界に行く
エピローグ
『やればできる』を書いた理由

それでは、なぜ「やればできる」は「失敗」作なのか。

オビより
香山リカさんの『しがみつかない生き方』を読み、正直迷ってしまているあなたに読んでほしい、という気持ちでこの本を書きました。

という「あなた」が知りたいことを、見事に外しているからだ。

もう、「やればできる」というタイトルからして外している。

違うだよ勝間さん。「あなた」が知りたいのは「やればできる」かどうかじゃないんだよ。

「やらなきゃいけない」のかどうか、なんだよ。

それに見事に答えてくれるのが、「無頼化する女たち」である。

「無頼化する女たち」目次
はじめに ニッポン女子はなぜやさぐれてきたのか
第1章 ニッポン女子のハッピーリスクと「第一次無頼化」の到来
第2章 社会のゆがみとニッポン女子の「第二次無頼化」
第3章 女のパロディとしての「第三次無頼化」
第4章 サバイバル・エリートと婚活現象
第5章 『おひとりさまの老後』革命
第6章 ニッポン女子無頼化現象が示す真実

私は前作をこう評している

404 Blog Not Found:希望は、ユーモア - 書評 - 黒山もこもこ、抜けたら荒野
以来、どうしても量産型キャラに妙なシンパシーを覚えてしまう。「スター・ウォーズ」を見ると自分はドロイド兵のような気がしたし、「機動戦士ガンダム」を見ると、自分はアムロでもシャアでもなく、連邦軍にいたならばジムかボール、ジオン軍ならザク(もちろん専用機を任されたキャラではない)のパイロットのような気がした。

この著者の「普通」さが実に絶妙で、本書は弱すぎても強すぎても書けない。

それでいて、著者の筆致は、普通の反対側にある。本書は明らかに日頃よく読み、そしてよく書く人の手によるものであることは隠しようがない。著者がボールのパイロットなら、ゲルググでも仕留められるだろう。

しかし、著者の願いはゲルググを仕留めることなんかじゃない。

戦争しなきゃならないの?なのである。

その答えは、著者自身が「無頼化する女たち」で明らかにしている。いや、タイトルを見れば答えはもうおわかりだろう。

答えは、Yes、なのである。

なぜ、「戦争」は避けられないのか?

なぜ、「平和」はないのか。

なぜ、「普通」でいられないのか。

普通の人が、普通の人に対して冷たいから、なのである。

私も、自著でこう書いた。添え状によると著者も読んで下さったようだ。この場を借りてお礼申し上げる。

働かざるもの、飢えるべからず。

みんなが、お金持ちをより裕福にしている

だれも予想していなかったのは、ここまで一般の人の目が肥えるということです。みんなが「良い」「悪い」ということを気にし出すと、富はより一極集中しやすくなります。それがものすごい勢いで進んでいます。

つまり、特定のお金持ちがよりお金持ちになるのは、みんなが「安くて良いもの」を欲しがった結果です。ですから、お金持ちをもっとお金持ちにしているのは、「みんな」であるということなんです。お金持ちがよりお金持ちになっているのは、貧乏な人を含めた「みんな」の総意です。特定の人への富の集中は、お金持ちの仕業ではありません。

そう。普通の人が普通に満足できなくなった結果、普通であることに「しがみつけなく」なったのである。この「普通のパラドックス」の悲哀を、著者はこう詩にしたためている。

ライフ・ヒストリー - 「音速平和」収録
私は生まれた
大量生産された希望と
大量生産された生活誌と
大量破棄された死体の上に
私はうまれた
とりたてて これといって
特徴のない、生
私 は

特徴とは、「しがみつく」手がかりである。普通であるということは、この手がかりがないことなのである。しがみついてもらえず、それゆえにしがみつくことが許されない。

だから、無頼なのである。

無頼は、いやか?

ならば、やってできるようにするしかない。

ここまで来て、やっと「やればできる」のである。

「やる」ということは、「とんがり力」、すなわち「普通からはかけ離れたものを得る力」を持つ必要がある。それをどうやるのかは本書を参照していただきたい。

実は、「やればできる」の主語は、「あなた」ではない。

「われわれ」、である。

著者が目指しているのは、「無頼」ではなく「共頼」である。本人も告白しているように、ネットがない状態における著者は実に非力だ。もし何もかも自分でやらねばならぬのだとしたら、「やればできる」はウソである。

しかし、「やれない」ことをやってもらえるのであれば、「やれる」とをやれば「できる」のである。

ところが、自分が「やれない」ことをやってもらうためには、他者が「やれない」何かを「やってできる」だけでに留まらず、「やればできる」ことを広報しなければならない。

「やればできる」人ほど、やらないことを人にやってもらえるようになる。

だから「やればできる」人になりましょう、というわけである。

ゆえに私は、水無田に同情しつつ、勝間に同意せざるを得ず、そして両者の落としどころとして「働かざるもの、飢えるべからず。」を著した。

やれば、できる。

必要以上に、できる。

それならば、皆がやらなければならないのだろうか。

それでも、わたしはやるだろう。

人生の楽しみとは、わからぬことがわかり、できぬことができるようになることなのだから。

しかし、その過程は、痛い。

だから、私はあえてラクツマラナイを選ぶ人にまで「やればできる」とは言わない。

しかしそれを選んだ以上は、「つまらない」という泣き言は言うな、とは言う。

つまらないんだったら、やればいいのだから。

やりたくないなら、無頼化せよ。

ラクオモシロイなんて、ないんだから。

Dan the Extraordinary