mt-fuji

あけまして、おめでとうございます。

よく考えると、ずいぶんと便利な言葉だ。それが「単なる」一年のはじめでも、十年のはじめでも、世紀のはじめでも、そして千年紀のはじめでも全く同じ台詞でいいのだから。

前のdecadeのはじめ、そして千年紀のはじめ--いや、厳密には2001年がはじめではあるけれども;詳しくは「異端の数ゼロ」を参照--は、私はとてもよく覚えている。私はまだライブドアという名になる前の会社のCTOをしていて、Y2K問題に備えて引っ越したばかりの社屋につめていた。長女はいたがまだ次女はおらず、一日「72時間」仕事をしているような日々だった。

あれからもう10年もたつのか。短いようであり、長いようであり。意外なようであり、当然のようであり。

すでに21世紀に入って9年、最初のdecadeが終わろうとしてはいるけども、むしろこの10年は20世紀の延長だったような気がする。20世紀といえば、「成長」。成長という観点から言えば、ネットにとってのこの10年というのは、成長どころか爆発といってもよい発展をとげた。

しかしその前半と後半をよく見ると、後半はあまり質的な成長はとげていない。私が今の住まいに来てから今年で5年目になるが、ネットの速度は入居時と変わらず、マンション全体で!Gbps、各住戸に100Mbps。回線が飽和したという話はまるでない。YouTubeやニコニコ動画といった動画需要が格段に増えたのに、足りてしまっているのだ。

これほど目覚ましくはないけれど、パソコンの成長もゆっくりしたものだった。それどころかNetBookのような「先祖がえり」現象すら起きている。NetBookのスペックも、今の5年ぐらい前の最新ノートパソコンのそれくらいだろうか。

個人のネット利用に関して、量的な成長は頭打ち、というよりいくら使っても使い切れないことに気がついて、もう誰もそれを求めなくなったのだ。どう使うかという模索は今後も続くだろうが、個人で1 Gbps欲しいという声があがる状態にはまずならなさそうだ。

次の10年は、ネット以外の世界でもこのようなことが続々と起こってくるのではないだろうか。

もしそうだとしたら、「働かざるもの食うべからず」というのは、すでに100Mbpsの回線を使いたい放題にしているのに、来客から回線代を取るような滑稽なことになりはしないか。

しかし四半世紀前の私にそのことを言ったら、そちらの方こそ滑稽だったのではないか。当時客として電話を借りたら、電話代はきちんと払うのがエチケットだった。物心ついたころからケータイがあった娘たちは、そんなことを実感できるのだろうか。

三つ子の魂百までも、というのであれば、「足りないが当たり前」をそう簡単に手放せないのは確かだろう。

それでも、いつかは気がつくのである。エスキモーに氷を売ることの耐えられない軽さに。

それが常識となっていくのが、この次の10年なのではないか。

よいお年を。次の10年もよろしくお願いします。

Dan the Man from the Past Millenium

P.S. 朝日新聞を囮、じゃなかったお取りの方は、朝刊のチェックを。