ipad

「なにこのiPod Fat」

と、この写真を見て感じた人も少なくないのではないだろうか。

そして実況中継を見ていた人は、もっと強くそれを感じたのではないだろうか。

私もそう感じた。

このビデオを見るまでは。

スリムなiPhoneと比べて、なんて横幅が広いんだろう。

枠ぎりぎりまで画面があるiPhoneと比べて、なんてふちが広いんだろう。

手のひらに収まるiPhoneと比べて、なんてうすらでかいんだろう。

正直、かっこわるくね?

実はこれ、iPadの「真の姿」ではないのだ。

そこにあなたの手が加わって、はじめてiPadはiPadとなる。

Jobのプレゼンでピンとこなかったのは、そこに人の手がなかったからだ。スクリーンにはiPadが大写し。大写しはいいけど、おかげで実際にどれくらいの大きさがどれくらいかわからない。MacBook 13インチよりひょっとしたらでかいのか。それとも逆に、文庫本サイズなのか。Jobsが実物をかかげてみても、片手ではやたらiPadが大きく見える。

しかしどうだろう。実際に人の手がそれを動かしている姿ときたら。

すべてが、手にしっくりおさまっているではないか。

幅広なのは、そうでないと横にしてキーボードを表示させたとき、それ以外の表示領域があまりに狭くなるため。実際iPhoneを横にしてキーボードを表示すると、上に残る部分がやたらと狭い。

ふちが広いのは、そこが「手すり」だから。スクリーン全てがマルチタッチスクリーンなiPadを文字通り縦横無尽に使うには、支えている方の手がスクリーンに触れないようにしなければならない。その点が全体を片手でつかめるiPhoneとは決定的に異なる。

Jony Ive
There's no up there is no down. There's no right way or wrong way of holding it.

iPadは、そこにあなたの両手があってはじめて「完成する」のだ。

主人公は、あくまであなたで、主演はあくまであなたの手。iPadはあくまで助演者であり、黒子なのだ。

I don't have to change myself to fit the product. It fits me.

そうなのだ。これこそが、彼らが届けたかったものであり、ことなのだ。

Macは、「最悪」でもパソコンになる。Windowsパソコンとしても優れものであることはBoot Campしてみればすぐわかるし、そしてパソコンがWindowsである必然性は、Webのおかげでかつてないほど低い。なんならUbuntuだっていいのだ。

iPhoneは、「最悪」電話になる。電話としてはもう少し圏外になりやすすぎるかも知れないが、それを改善するのは日本では孫さんたちの仕事であってJobsたちの仕事ではない。もちろん圏内であれば実に有能な電話だ。住所録の使い勝手一つとっても、他の電話の追随は許さない。

iPadには、そんな逃げ道はない。タブレットというのはモバイルデバイスにとってまさに死の谷。AppleもまたNewtonという犠牲者を出している。

そして NetBook.

Netbook is good at nothing. It's just a cheap laptop.

というJobsの主張には、オーナーとして同意せざるを得ない。Netbookはいわば残飯でつくったまかない飯。たまたま食ったら意外とイケルということで皆こぞって「わざわざ」作ったが、作れば作るほど利益も出ない状態になったのはこれまでのあらすじ。

私は軽自動車には軽自動車の良さがあると思っているし、実際さまざまなNetbookを物色したが、今のところはトラバントばかりでワゴンRはないと言わざるを得ない。少なくともそれしか買えない人が「唯一の一台」として買っていい代物ではない。

みながこぞって残飯を売りに出す中、Appleだけは、畑の土から作っていた。専用CPUをつくってもらうなんて、MacもiPhoneも受けられなかった高待遇ではないか。後でiPhoneの方でおいしくいただくという「セイフティネット」は用意されていたとしても。

しかし「まるで新しい」ものを、人は使いこなすことが出来ない。それが出来るのは子供だけで、大人は「いままで使ったことのあるもの」の延長でしか、新しい道具とつきあえない。iPhoneアプリとの上位互換性はまさにそのためにある。「でっかいiPod Touch」として使えれば、買った人には少なくとも損をさせずにはすむ。

しかし、iPadの真価は、「Netbookより軽いMac」でも、「大画面のiPhone」でもどちらでもない。

手が合わせるのではなく、手の方に合わせる道具だ。

Macには、パーソナルコンピューターという制約がある。

iPhoneには、電話という制約がある。

ましてや、Kindleには「本」という制約がある。

iPadは本「にもなる」。

404 Blog Not Found:iBookがアプリ名になる日 - #弾言_ & #決弾_ に見た「読むの未来」
となると、電子書籍リーダーアプリは、Apple純正のものが欲しくなる。iPodに電子書籍ビューワー機能を追加するか、あるいは iBook という名のアプリにするか。操作性を考慮すると、別アプリの方がいいと思います。それなら iPod で音楽を流しながら iBook で読書できるでしょ? 幸い iBook という名は、かつての iBook が MacBook に移行したおかげで空いてます。

iBookではなくiBooksではあるが、まさにその通りになった。しかしKindleと決定的に違うのは、「本」というのは数あるiPadの機能のうちの一つにすぎないこと。Kindleから本を除いたらほとんど何も残らないが、iPadから本を引いてもその魅力はほとんど落ちない。日本の iTunes Store はまだ動画を売っていないけれども、それでもiPhoneもiPodも売れているではないか。

iPadは、ほぼまちがいなく全世界同時に売られるだろう。iPod TouchはiPhoneの後を追って登場したが、iPadはWifiのみモデルと3Gモデルとが同時に発表され、Wifiモデルの方がやや先行する形で発売されるようだ。これで日本を後回しにするわけがない。iPhoneが3Gまで待たされたのは、日本にGSM回線がなかったからにすぎない。そしてiPadにiPhoneの制約はないのだ。

その凄く見えなささに、その凄さを感じずにはいられない。

Dan the Owner-to-Be