筑摩書房松本様より定期便にて献本御礼。
こういうのも何だが、「学問のすすめ」よりずっと易しい言葉で書かれ、訳されているのに、味わうのは難しいと感じた。言葉が淡白なのである。薄味すぎて、激辛の言葉に慣れた人には味がわからないかも知れない。十年前の私には多分味がわからなかっただろう。
そこにこそ、渋沢栄一を読み解く鍵があるのではないか。
本書「現代語訳 論語と算盤」は、渋沢栄一の同名の講演集を、言葉遣いのみならず文脈まで現代語訳しなおした一冊。この「文脈までも」というのが重要だ。
著者は、文よりも文脈、人よりも人脈を尊ぶ人だったからだ。
目次 - mailより- はじめに
- 渋沢栄一という原点 / 今、なぜ現代語訳か?
- 第一章 処世と信条
- 論語とソロバンは、はなはだ遠くて近いもの / 士魂商才 / 『論語』はすべての人に共通する実用的な教訓 / 時期を待つ必要がある / 人は平等であるべきだ / 争いはよいのか、悪いのか / 立派な人間が、真価を試される機会 / 蟹穴主義が肝要 / 得意なときと、失意のとき
- 第二章 立志と学問
- 現在に働け / 自ら箸をとれ / 大きな志と、小さな志との調和 / 立派な人間の争いであれ / 社会と学問の関係 / 一生涯に歩むべき道
- 第三章 常識と習慣
- 常識とはどのようなものなのか / 憎みながらも、相手の美点を知る / 習慣の感染しやすさと、広まっていく力 / 親切にみえる不親切 / 人生は努力にある / 正しい立場に近づき、間違った立場から遠ざかる道
- 第四章 仁義と富貴
- 本当に正しく経済活動を行う方法 / 「経済活動」と「富と地位」を、孔子はどう考えていたか / 貧しさを防ぐために真っ先に必要なもの / 金銭に罪はない / よく集めて、よく使おう
- 第五章 理想と迷信
- 熱い真心が必要だ / 道徳は進化すべきか / 一日を新たな気持ちで / 修験者の失敗 / 本当の「文明」
- 第六章 人格と修養
- 人格の基準とは何か / 二宮尊徳と西郷隆盛 / 自分を磨くのは、理屈ではない / 自分を磨くことに対しての誤解に反論する / 実際に効果のある人格の養成法
- 第七章 算盤と権利
- 仁を実践するにあたっては、自分の師匠にも遠慮しない / 王道――「思いやりの道」をただ歩むだけだ / 競争の善意と悪意 / 合理的な経営
- 第八章 実業と士道
- 武士道とは実業道だ / 模倣の時代に別れを告げよう / 果たして誰の責任なのか / 利益を追求する学問のマイナス面をなくしていくべきだ / こんな誤解がある
- 第九章 教育と情誼
- 孝行は強制するものではない / 現代教育の得たもの、失ったもの / 偉人とその母 / 理論より実際 / 人材余りになる大きな原因
- 第十章 成敗と運命
- 良心と思いやりだけだ / 自分にできることをしたうえで、運命を待て / 順逆、二つの境地はどこから来るのか / 細心にして大胆であれ / 成功と失敗は、自分の身体に残ったカス
- 十の格言
- 渋沢栄一小伝
- 時代の児 / 高崎城乗っ取り計画 / フランス渡航 / 日本資本主義の父 / 私心なき活動 / 私生活と晩年
- 『論語と算盤』注
- 参考図書
山ほど会社を作ったのに、財閥は作らなかった渋沢栄一は、それだけに功績の割に印象が弱い人であるかもしれない。名前は知っていても台詞は知らないという人も多いのではなかろうか。正直本書にも「名台詞」らしい台詞は登場しない。よくも悪くも、一度あったら忘れられそうもない岩崎弥太郎のような人物とは対局にある。
それこそが、著者の偉大さ、というより「偉広さ」なのではないだろうか。
著者が残したかったのは、文ではなく文脈だったのだ。
そして著者自身は人物ではなく人脈になることを選んだ。
本書を読んで関心するのは、論語に限らず、著者がものごとをどのように読んでいるかという視点。およそ言葉そのものを取り上げることをよしとしない。必ず著者が人の言葉を引用する時には、その言葉=文のみならず、それがどのような状況で発せられたかという文脈を忘れない。だからこそ、当時ですら--もしかしたら今以上に--権威主義の固まりのように見られていた論語をこれほどリベラルに取り上げることが出来たのだ。
論語の解説に関しては、他の書物をあたった方がよいだろう。例えば本blogでも以前「右手に「論語」左手に「韓非子」」を取り上げている。本書で読むべきは、文ではなく文脈をどう読むかである。
だからこそ気になったのは、本書に何が書いてあるのかではなく、何が書いてないか、である。
本書には、「君子和而不同、小人同而不和」が出てこないのだ。「君子は和して同せず、小人は同して和せず」。私にとってこれは論語の他の言葉全てを合わせたより重要な一言でもあり、論語を論じた書物でこれが出てこない書物はないぐらい重要な言葉なのだが、これが出てこない。
しかしこれもまた、本書の文脈を知れば納得が行く。当時は今の日本とは反対に、群雄が割拠していた時代だったのだ。本書の「渋沢栄一小伝」にも、岩崎弥太郎に「同盟」をもちかけられてそれを断る屋形船のエピソードが紹介されているが、当時必要だった--と著者が感じていたのは、「和する」ことの方だったのだろう。財閥を作らぬことで、著者はそれを身を以て証明した。
そして今。著者はまさに日本の文脈となっている。それもやや行き過ぎた形で。
もし著者が今それを見たら何を語るだろうか。
今度こそ、「同せず」ことを説くのだろうか。
著者が和して同せずを貫いていたことは、岩崎との一件でも明らかなのだから。
しかしそれを文でなく文脈で示すか。
「語らず」にしてどうやって「語らせるか」。
それを、読んでみたい。
Dan the (Con)textual Blogger
かの福澤諭吉も「脱亜論」を唱えているのですから。