サンクチュアリパブリッシング岩田様より献本御礼。

昨日到着したのだが、もう少し早く送って欲しかった。

新学期がはじまる前に読んでおきたい本No. 1がこれなのだから。

「学校に通う」。そんな先進国の子供にとって当たり前=ordinaryな日常が、実は格別=extraordinaryなことであることを何よりも教えてくれるのが本書なのだから。

本書「スリー・カップス・オブ・ティー」は、あるタンザニア育ちのアメリカ人登山家の物語。K2登頂に失敗した主人公は、いかにしてパキスタン、そしてアフガニスタンで学校を作ることを天職=callingとするようになったのか。

目次
  1. 失敗
  2. 川の反対側
  3. 進歩と達成
  4. セルフ・ストレージ
  5. 580通の手紙と1枚の小切手
  6. たそがれのラワルピンディ
  7. けわしい道のり
  8. ブラルドゥ河にはばまれて
  9. 国民の声
  10. 橋をかける
  11. 6日間
  12. ハジ・アリの教え
  1. 「思い出よりもほほえみを」
  2. 世界のつりあい
  3. 多忙な日々
  4. 赤いビロードの箱
  5. 砂地に育つ桜の木
  6. 亡骸の前で
  7. ニューヨークという村
  8. タリバンとお茶を
  9. ラムズフェルドの靴
  10. 「無知が敵」
  11. これらの石を学校に

あとがき

本書のあらすじを紹介するのはここでは避けることにする。本書は実話であると同時に掛け値なしに題意級もの物語であり、それをネタばれするほど私は野暮ではない。しかし、以下は引用、いや引用の引用をしておいてもよいだろう。

P. 502
アメリカがイラクでサダム・フセイン政権と対決しているように、グレッグ・モーテンソン(45)は、独自の方法で黙々と挑んでいる。原理主義者たちは、窓ラサというイスラム教の神学校に通う生徒たちを自分たちの一員として引き入れることが多い。モーテンソンの活動は、ごく単純な考えに基づいている。世界で最も不安定な戦闘地域に、宗教色のない学校を建て、教育、特に女子教員が普及するよう支援するのだ。タリバンをはじめとする過激派は、やがて支援を得られなくなってしまうだろう。

--ケヴィン・フェダルコ パレード誌2003年4月6日のトップ記事

「全米が泣いた」という手あかのついた表現を使うのであれば、本書で全米は二度泣くことになる。

一つは、自らの過ちに対して。

そしてもう一つは、自らのやるべきことに対して。

そして後者には汗と時間がともなう。学校はわずか1万2000ドルで建てることができる。軽自動車一台分。薄給だった主人公の給与で換算してもわずか半年分。しかしそこで生徒が育つには10年以上が必要なのだ。一発84万ドル、一瞬でそれらを破壊することができる巡航ミサイルとは正反対の世界がそこにある。

日本語版に関して少し補足を。

奥付
※ 本書『Three cups of tea 日本語版』は、原著『Threee cups of tea』を完全翻訳した上で、その内容の一部を編集・省略しています。

どこが編集・省略されたのか気になったので原著もKindleで入手してみた。原著も実に平易な言葉で書かれており、かなりおすすめだ。Kindleだとこのように単語をその場で辞書引きして読むこともできる。

それでも平易さにおいて日本語版は原著のさらに上を行く。最も変わったのは人称。本書は主人公かつ共著者である Mortenson の足跡を、ジャーナリストである Relin がたどり直して上で Reling が Mortenson の肩越しに状況を眺めているという視点で描かれているのだが、それでも英語版においては Mortenson は"he"。日本語版では Mortenson が「僕」なので臨場感がそれだけましている。

その分客観性が落ちたといえばそうなのかも知れない。しかしその Relin さえ、

あとがき
客観的であるべきジャーナリストの僕でさえ、彼の起動に引き寄せられる危険に直面している

と告白している。この改編を著者たちも支持するはずだ。私も支持する。客観性は他の本にゆずってよい。まずはこの物語を、主人公の視点で追体験して欲しい。

P. 62
偉大さは、つねに次のものを基盤とする。
ごく平凡な人間の姿と言動である。

-- シャムス・ウッディーン・ムハンマド・ハーフィズ

本書は、まさにごく平凡な人間の姿と言動によってなされた偉大な物語なのだから。

Dan the Ordinary Reader