どちらも出版社より献本御礼。
今まで紹介しあぐねていたのだが、これのおかげで糸口がつかめた。
死ぬ言葉 (内田樹の研究室)それは言い換えれば、「ひととともに生き死にする言葉」だけが語るに値し、聴くに値する言葉だということである。
これは、嘘である。
なぜなら言葉というのは、発したものの死をもって不死となるのだから。
「個独のブログ」は、昨年21歳で亡くなったブロガー、id:kousuke-iのブログを書籍化したもの。そして「伊藤計劃記録」は昨年亡くなったSF作家伊藤計劃の発した言葉のうち、書籍未収録のものを収録したもの。両者とも私よりも若く、そして両者ともこれからもっと語るに値する言葉を発してしかるべき人物だった。
しかし、両者がこれ以上の言葉を紡ぐ事は無い。
両者とも、もはや自分の言葉を殺せないところに逝ってしまったのだから。
生きていれば、かつての自分が発した言葉を撤回することができる。「なかったこと」には出来ないけれども、新たな言葉で旧き言葉を「上書き」することならできる。
「ひととともに生き死しない言葉を紡ぐ人々」、すなわち理論を築く人々ですら、生きている間であればそれを築き直すことが可能である。アインシュタインが「我が生涯最大の過ち」と言って宇宙項を撤回したのはあまりに有名である。
そのアインシュタインも、もやは宇宙項が復活したことを知る由もない。しかも本人が思いもよらぬ形で。
言葉は、死なない。
いや、死ねない。
そしてどんな言葉が死なないのかを、発した者は選ぶ事はできない。
東京・仙台行ってきたよ記(前編) - 一法律学徒の英語と読書な日々あの本屋は紀伊国屋だったか、仙台のガイドブックを買うなどする。牛タン美味そう。あと、SFコーナーで、『アッチェレランド』を発見。小飼弾氏が解説を書いているので、読む。英文テキストは http://www.accelerando.org/ で手に入るのか。でも厚いなあ。結局帰ってきてからamazonで注文しましたけど。原書のほう。病院で元旦 - 伊藤計劃:第弐位相
とりあえず、生存報告させていただきます。去年はたぶん、今まででもっとも際どいエリアに近づいた一年でした。
双方とも、著者たちの生前の最後のblog entryである。前者には全く死の匂いがしない。著者の死があまりに突然だった事が伺われる。著者の死因は「個独のブログ」でもついに明らかにされないけれど、重要なのは死因ではない。たとえ「明日も多分生きているだろう」という前提で紡がれた言葉でも、こうして不死化してしまうことそのものにあるのだ。
後者の方は、病死であったことが知られている。その分「準備期間」があったということではあるが、それでも「生存報告」であって「遺言」ではない。
かくも聡明な著者たちであっても、自らの死はとにかく、自らの言葉が不死であることを実感するにはあまりに若かったのだ。
いや、自らの言葉が不死であることを実感している人など、どれほどいるのだろうか。かく言う私もせいぜいわかるのは「言葉は話し手が死んだ瞬間に不死化」することがわかっただけで、それが今生きている私自身にどんな意味があるかはわからないし、ましてや死後はどうなるかは想像すらできない。
それでも一つ確認したことがある。
これほど言葉が死なない時代はかつてなく、そして今後ますます言葉というのは死なないものとなっていくのだということ。
かつて言葉というのは、ただ口から発せられて虚空に消えて行くものだった。今でもほとんどの言葉はそうである。だからこそ我々は安心して床屋談義に興じ、居酒屋で愚痴る。言葉のほとんどは、一晩寝れば聞いた人はおろか、本人すら忘れてしまうことを前提に発せられている。
しかし今や、こうした言葉ですら「あっさり」不死化しうる。我々はかつてないほどかつては口にしかしなかった言葉を手で書いているし、そして口にしかしていない言葉ですら録音され録画されている。にも関わらず、我々は相も変わらず言葉とは一晩経てば忘れ去られてしまうものという前提で言葉を発している。
それが何を意味するかは、未だに言語化できない。
一つ言えることは、これで逆縁がさらに辛いものとなったということだ。私より若い人々が死ぬということだけでも痛いのに、彼らの言葉はもはや決して死なないのだから。特に伊藤康祐君の言葉には、私の名が何度も登場する。それに対してどんな言葉を私が返そうとも、彼の言葉はもはや変わらないのだ。
こうして今書き連ねている言葉もまた、不死化する言葉の候補である。別に遺言のつもりで書いているわけではないのに、そう思うと指が重たくなる。いつの日か私の言葉は不死となる。それがたとえどれほどくだらなく、つまらなく、語るに値せず、読むに値しない言葉であっても。だからそう思わないことにする。いつでも自分の言葉を撤回できるつもりで今後も駄文を書き連ねていくことにする。
一度発せられた言葉は、すでに自分のものではないのだから。
そのことに、生前も死後も本来ないのだから。
Dan the Mortal
男の嫉妬は醜いですね。きん玉小さいんですかね。小飼さんは。