スゴ本の中の人より献本御礼。

面白い。この発想はなかった、というより、長らく忘れていた。

と同時に、dainさんがなぜ本書を挫折したかもよくわかった。

本書を面白いと感じるためには、少なくとも高校レベル、出来れば大学レベルの古典力学を直感できるようになっている必要があるのだから。

本書「機械じかけの数学」は、今では基本的なアプローチとなった「数学で物理学を解く」の反対、「物理学で数学を解く」事例を一冊の本としてまとめたもの。

目次
  1. 序論
  2. ピュタゴラスの定理
  3. 最大と最小
  4. 電気のショートによる不等式
  5. 重心―証明と問題
  6. 重心―幾何学と運動
  7. 力学を使った積分計算
  8. 伸ばしたばねによるオイラー=ラグランジュ方程式
  9. レンズ、望遠鏡、ハミルトン力学
  10. 自転車の車輪とガウス=ボネの定理
  11. 単純になった複素数
付録 前提となる物理学

物理と数学の不思議な関係」を読めばわかるとおり、長らく数学は物理学の難題を解くために発展してきた。「数学で数学の問題を解く」ようになったのは近年の傾向であり、それまで数学というのはむしろ物理を読み解くための道具だったのだ。具象を抽象化し、抽象で解いて具象に戻す。そのおかげで物理の難題の多くがすらすらと--数学者が言うところのエレガントに--解けるようになった。

そのおかげで、今や我々は数学で物理を解くのに慣れっこになっている。「数学化してから解く」訓練を、我々は小学校から受ける。本書にも登場する電気抵抗の問題も、娘はそうやって解いている。

しかしその強力なアプローチは諸刃の剣でもある。本来直感的で具体的な物理学が、数学化を経由することにより観点的で抽象的なものと感じられるようになってしまうのだ。数学嫌いはほぼ間違いなく物理嫌いでもあるが、その逆が真とはならない--数学好きの物理嫌いが少なくない--のはそのためかもしれない。

ならば、観念的で抽象的な数学を、直感的で具体的な方法で解いたっていいじゃないか。

これが、本書が生まれたきっかけである。

著者は物理方式と数学方式の違いを以下のようにまとめている。

P. 20
物理学方式数学方式
計算がない/少ない普遍的にあてはまる
答えは概念的な場合が多い厳密
新しい発見につながりうる
前提となる知識が少ない
微積分を習う前でもわかりやすい

ここまでは、dainさんもわかったはずである。

問題はその先、実際に物理学で数学を解く部分である。わからないものをわかるためには、すでにわかっているものを出発点にしなければならない。この場合は物理なのだが、物理がわかっていないと当然数学の部分もわからない。たとえば本書のはじめの方に登場する、ピュタゴラスの定理をエネルギー保存則から導きだす方法はこうだ。

  1. 摩擦のない場所、たとえばスケートリンク(本書の例)や宇宙空間(私による付け足し)で、物体を速度aまで加速する
  2. 次にその物体を、先ほど加速した方向とは直角方向に、速度bまで加速する
  3. この時点における合計速度cは、直角三角形の斜辺に相当する
  4. 一方運動エネルギーは、物体の質量をmとした場合mc2/2であるが、これまでの加速によりこれはma2/2 + ma2/2 でもある。
  5. mc2/2 = ma2/2 + mb2/2 ⇒ c2 = a2 + b2

たしかにピュタゴラスの定理であるが、しかしこれを理解するためには、すでに読者がエネルギー保存則と運動エネルギーを直感として持っている必要がある。しかし残念ながら、どちらも「教えられずともわかる」ほど直感的とは言いがたい。前者のエネルギー保存則はとにかく、後者の運動エネルギーを「教わらず」に理解出来た人はあまりいないだろう。

むしろ「生の直感」は、子供向けのカトゥーンのように、崖から落ちてもしばらく気づかず、気がついたとたんに真っ逆さまに落ちることを是としてしまうのではないだろうか。本書の言うところの「直感的」は、物理学的にある程度鍛えられた直感を前提としている。だからそれがない読者には「感じられない」。

ところが高校物理の履修率は、「「理科が危ない」(1)」によると現在はわずか二割。これではほとんどの読者、特に文系の読者には「難しすぎる」のもムリはない。しかも縦割り行政のおかげで、物理は数学とは「別物」として教えられている。これではますます直感と想像を行き来する能力を鍛えるチャンスが失われてしまうではないか。

かといって、私は別に幻滅しているわけではない。それどころか、電子書籍化の波がこの状況を一挙に反転させる可能性すらあると見ている。

物理エンジン搭載の物理教科書。

電子書籍のキラーアプリの一つに間違いなくなるだろう。

本書の物理エンジン搭載版が「上梓」されるかどうかはわからない。ぜひそうなって欲しいものだ。そうなった暁には、dainさんもぜひ本書に再挑戦して欲しい。今度こそ「直感」が得られるはずだから。

Dan the Physical Being