出版社より献本御礼。
これぞ、我々--本blogの読者も私も--が最も読まずにいられない物語。
なぜなら、この物語には、あなたも必ず「登場」するのだから。
その意味において、これは今までありえなかった物語である。
本書「グーグル秘録 完全なる破壊」の原題は"Googled: The End of the World As We Know It"、直訳すると「グーグル化する世界:我々が見慣れた世界の終わり」となるだろうか。本書は世界がこの10年=The Google Decadeの間にどのようにGoogled=グーグル化され、見慣れた世界がどのように終わって行ったかを、Googleの外と内から見ていく。
目次- まえがき
- 第一部 別の惑星
- 第1章 君たちは魔法をぶち壊しているんだ!
- 第二部 グーグルの物語
- 第2章 ガレージからの出発
- 第3章 活気はあれど収入はなし
- 第4章 グーグル・ロケット、発射準備
- 第5章 無邪気、それとも傲慢?
- 第6章 株式公開
- 第7章 新たな"悪の帝国"か?
- 第三部 グーグルvs.旧メディア帝国
- 第8章 ユーチューブ買収
- 第9章 戦線拡大
- 第10章 政府の目を覚ます
- 第11章 グーグル、思春期に入る
- 第12章 "古い"メディアは沈むのか?
- 第13章 競争か、協調か
- 第14章 ハッピー・バースデイ
- 第四部 ググられる世界
- 第15章 ググられた正規
- 第16章 伝統メディアはどこへいく?
- 第17章 これからどうなるのか?
- 謝辞
- 原注
- 訳者あとがき
本題に入る前に、誤訳の指摘を一つ。P. 109 の「プロキシー・キャッチ」は「プロキシー・キャッシュ」の間違い。文脈を見るまでもなく明らかなのだが、念の為Kindleで原著を入手して確認した。こういうことがすぐにできる点一つとっても、それ以前とそれ以後の世界が別物であることを改めて実感する。
ご存知だっただろうか?それを可能にしたAmazonの Jeff Bezos もまた、Googleに最初の投資した人物の一人であったことが。Googleを「外から見た」本はすでに少なくない。本blogをを"google 書評"でググるだけでもいくつも出てくるが、内部まで見たものとしては「ザ・サーチ」があったのみ。本書にも同書は最重要の参考文献として登場するが、初期投資を誰から集めたか一つとっても本書と同書では焦点の当て方がことなる。「ザ・サーチ」でフォーカスされていたのはアンディ・ベクトルシャイムの方である。そして同書の上梓から本書までには、さらに五年の月日が流れている。その間の五年とは、Google と「我々」がどう間合いを取るべきかを互いに試行錯誤していた時期でもある。だからこそ、もはやGoogleの物語として「ザ・サーチ」を克えるものが求められていたのだが、本書によってついにそれが得られた。
それでは「ザ・サーチ」から5年後の今、なにがわかったのだろう。
Google は、我らが "Frenemy" であるということだ。
Frenemy とは、 friend = 味方と enemy = 敵をあわせた本書の造語であるが、これほど Google のありよう、そして人と人、人と企業、そして人と政府に至るまでの相互関係を的確に表現した言葉は存在しないのではないか。Frenemyという関係はビジネスの世界においては普通に見られるものであるが、Google ほど frenemy が多い会社はかつてなく、そして今後も登場しないかも知れない。なにしろあなたや私も Google の frenemy なのだ。私は過去に「アボセンス」された一方、書評記事のほとんどは、書名でぐぐるとAmazonの次、ときにはそれより上に表示される。
Frenemy.
これこそが、「それまでの世界」と「これからの世界」の最大の違いだ。これを最大限に利用したのはAppleであろう。EnemyであったMicrosoftからの出資で九死に一生を得た同社が、いかにenemyやfriendをfrenemy化していったかというのは、同社がいかにして Google をも時価総額で上回り、Microsoftを視野にとらえたかという歴史とも重なる。その同社にとっても、 Google はもっとも身近な frenemy 。Eric Schmidt が取締役辞任したぐらいでそれは変わらない。MapやYouTubeがないiPhoneなどありえるだろうか。
Google が真に「これまでありえなかった」のは、そんな大企業から一個人まで、 frenemy であること。Windows や Office を使っていない人は少なくない(たいていの Mac user はそうだ)。Mac や iPhone を使っていない人となるとなおのことそうだ。しかし「ぐぐった」ことのない人などいるのだろうか?
その意味において、本書は彼らの物語であると同時に、我々の物語でもあるのだ。
我々にとってのゼロ年代とは一体なんであったのか。
本書で、ぜひ振り返って欲しい。
Dan the Frenemy Thereof


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