思わずうなずいてしまいそうだが…

言葉の力 (内田樹の研究室)
「生きる力」とは平たく言ってしまえば「何でも食える」「どこでも寝られる」「誰とでも友だちになれる」というベーシックな三種の能力にほぼ尽くされる。

もう一度考えてみよう。

地球で最も繁栄しているのはなんといっても昆虫。内田センセイも師として仰ぐ養老先生もそう答えるはずだが、昆虫といえば偏食でも有名だ。アゲハの芋虫はカラタチの葉しか食べず、モンシロチョウの青虫はキャベツばかりを食べ、そしてカイコ食べるのはもっぱら桑の葉だ。それしか彼らにとっての必須栄養素を得る方法がないというのではあればとにかく、そうでないことはリンゴを食べるカイコもいることからわかる。

そしてもちろん、昆虫は偏食な奴ばかりではない。ゴキブリもハエもカも、口にできるものであればえり好みはそれほどしないようだ。カは口が特殊なので口に出来るものは血液に限定されるが、それでもヒトの血だけしか吸わないというカはいないようだ。いずれも大繁栄していて、いずれも生命力がつよくて、そしていずれも害虫と見なされている。

そう、「何でも食う」「生命力が強い」やつらというのは、他の生命から見るとずいぶんと迷惑な輩なのだ。こういうやつらばかりだとしたら、「生命は美しい」なんて言っている暇はとてもなかっただろう。彼らと戦うのに忙しくて。

ところが実際には、ほとんどの生物は好き嫌いが激しく、特定のものしか食わず、特定の環境にしか住まず、そして特定の生物として関係を結ばない。だからこそはかなく、だからこそ美しい。そして視点を一段引き上げ、生物全体として見れば、だからこそ強い。「強い者は生き残れない」を私はそう読んだ。

過ぎたるは及ばざるが如しは、生命力というものにこそあてはまるのではないか。

ここまでは生命共通の理だが、我々は動物である。なんたる幸運だろう。

そこにあるものが食えなければ、食えるものを探しに行けばいいのだから。

そこで寝られなければ、寝床を探しに行けばいいのだから。

そこにいる人と仲良くできなければ、仲良くできる人を探しに行けばいいのだから。

そこで生きて行けないなら、逃げればいいのだ。

「自分を変えるには三つしか方法がない」と大前研一は言っている。まとめるとこうだ。

  1. いつやるのかを変える
  2. どこでやるのかを変える
  3. だれとやるのかを変える

一番いけないのは、「決意を新たにする」、つまり意思を変えるだそうである。「イツツユビナマケモノ」である私から見たら生命力の固まりのような御仁がそう言っていることにほっとしている。

言葉の力 (内田樹の研究室)
人間的な意味での「力」は、何を達成したか、どのような成果を上げたか、どのような利益をもたらしたかというような実定的基準によって考量すべきものではない。

同意である。問題は、力不足を自覚した後、どうするかだ。

もっと力を欲し、それを得ようと切磋琢磨するのか。

それとも自分の力で足りる時、自分の力で足りる場所、そして自分の力で満足してくれる人々を見つけるのか。

どちらも正解である。が、先生がたは前者しか教えてくれない。後者は残念ながら独習するしかないようだ。しかし「その手がある」ということを、特にこの国の人々はもっと知っておいた方がいい。さもないと力不足を恥じるあまり自殺を選んでしまいかねないのだから。

努力が尽きてしまったあなた。

闘争力のつぎには、逃走力がひかえてるんですよ?

Dan the Lazy, Impatient, and Hubristic