翔泳社外山様より献本御礼。
デザインイノベーション
デザイン戦略の次の一手
Hartmut Esslinger / 黒輪篤嗣訳
[原著:A Fine Line:
How Design Strategies Are Shaping the Future of Business]
尋常ならざる著者名を見ただけで、これがスゴ本であることが分かったが、それはとんでもない過小評価だった。こいつはトテツモ本だ。「発想する会社! (The Art of Innovation)」がデザインの過程と結果を著した名著だが、本書はデザインの理由と真意を著した名著である。デザインをする人はむろんのこと、デザインを利用する者もまた刮目して読まねばならない一冊である。
本書、「デザインイノベーション デザイン戦略の次の一手」は、frog designの創設者が、いままで何をどうデザインしてきたかを語った自叙伝であると同時に、今後デザイナーは何をどうデザインし、そしてデザインの利用者にそれとどう向き合うのかを訴えた一冊。
frog design という名を聞いただけで、同社がデザインした製品に触れた事がある人であれば本書を読みたくなるのではないか。この書評を読んでる暇があったらぜひそうして欲しい。本書には間違いなくそれだけの勝ちがある。
目次- 日本版によせて
- 本書の刊行によせて
- 1 デザイン主導の戦略―創造的な経済の主役
- 2 真のうそ―イノベーションにおけるリーダーシップの役割
- 3 勝つためのデザイン―創造的なビジネス戦略
- 4 頼りになるのは金より人間―イノベーションプロセスの三ステップ
- 5 ビジネスデザイン革命―地球緑化会社
- 6 よりよいビジネス、よりよい世界のためにデザイン主導の戦略を
- 7 工場
- 謝辞
- 訳者あとがき
原題は、"A Fine Line: How Design Strategies Are Shaping the Future of Business"、直訳すると「紙一重:デザイン戦略が形作るビジネスの未来」となる。邦訳題は凡庸すぎるし弱すぎる。せめて「デザインリボルーション」としてほしかった。本書が訴えているのは、まさに革命なのだから。
そう。革命。本書の後半は、まさに21世紀のデザインに対する「共産党宣言」とも言える檄文なのだから。
本書は、第二次世界大戦直後のドイツからはじまる。1944年生まれの著者は直接戦争を体験するには幼すぎるが、戦争で荒廃した国土が出発点というのはGK Design Groupの榮久庵憲司を彷彿とさせる。本書に同社は登場しないのだが、この二[社者]、どこか根底でつながっているような感じがする。
frog design を設立するのは1969年。私が生まれた年でもあり、全世界が重厚長大から軽薄短小に舵を切った年でもある。この時著者が掲げた著者の計画は、それ自体が計画をデザインするとはこういうものかという見事な手本になっている。
- トップを狙っている「ハングリー」なクライアントを見つける。
- ビジネス意識を持ち、自分のためではなくクライアントのためになる仕事をする。
- 名を広める--わがままな芸術家としてではなく、ビジョンを描ける者として。
- その名声を会社の運転資本にする。
- 世界一のグローバルデザイン会社を築く。
- 常に最高の人材を求める--従業員も、パートナーも、クライアントも。
そうしてデザインをビジネスにすることに成功し、見事世界一のグローバルデザイン会社を著者が築くまでが本書の前半である。この部分だけでも一冊の本として充分成立するだけの叡智が詰まっている。
しかし圧巻なのは、デザインという行為そのものに革命を呼びかける後半にある。
P. 126正直に言おう。デザインはマーケティングと同様に、大量消費を加速させる。そしてどんな商品も大量に生産されれば、環境汚染や地球温暖化につながる。それゆえ、デザイナーもクライアント企業も、環境に多大な影響を及ぼす経済モデルに組み込まれている。
なんとこれは。デザイナー自身が、大量消費社会の成立という「罪」を認めたのである。それも世界で最も影響力のあるデザイナー自らが。
以前、わたしはこう書いた。
404 Blog Not Found:デザインがわかった! - 書評 - 企業戦略としてのデザインデザインとは、体験のひな形の事なのだ。
ということは、社会のありようを規定してきたのもまたデザインということになる。デザインとは、「この曲線がどう」だとか「あの機構がどうなのか」ということではない。いや、それもデザインではあるけれど、それはデザイン戦術であって、本書の主眼であるデザイン戦略ではない。
その戦略が間違っているのだとしたら、戦略そのものを作り直すしかない。
本書で著者が試みたのは、まさにそういうことだ。
本書の提示する未来のデザイナーは、これまでのデザイナーの印象からすると「反デザイナー」と言っていいほど対象的だ。際立たせることより溶け込むことをよしとし、競争ではなく協調を尊ぶ。デザインという単語が書名についた本で、オープンソースという言葉にであるとは思わなかった。
この文脈においてOLPCが失敗の例として登場するのだが、これは私が「世界を変えるデザイン」に感じていた違和感に120%応えてくれるものだった。
404 Blog Not Found:世界は誰が変えるべきか - #書評_ - 世界を変えるデザインだから私はみじめな気持ちになったのだ。P. 157
自らの生活を改善する道具を、自らの手でデザインできないこと、に。
実はわたしもこれに多少関わっていた。構想自体はとてもすばらしいものだったが、残念ながら、これも植民地主義の犠牲になった。コンピューター技術の枠組みを超えるようなイノベーションに取り組んだり、顧客--主に中国やインドやブラジルなど、人口の多い国々の政府--と共同でデザインを考えたりせず、ニコラス・ネグロポンテは自分たちのチームで、計画の一切を取り仕切った。顧客から刺激的で冒険的なアイデアが寄せられても、それが生かされることはなかった。
我が意を、得たり。
もう一つ、特に日本の読者にとってうれしいのは、著者のデザイン革命において日本が実に高く評価されていること。
P. 213(例外は日本だ。日本の工業力や戦略的な考え方はこのところ過小評価されている)
最も過小評価しているのは日本人自身かも知れない。著者の生国ドイツと日本は、ここ数年「世界で最も好影響を与えている国」のトップの常連ではないか
ビジネスにおける frog design という立ち位置を、世界における日本の立ち位置とするのは世界にとっても日本にとってもかなりいけそうに思うのだが、どうだろうか。
Dan the Designer of His Own Life
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