双方とも出版社より献本御礼。
個人がメディアを持つとはどういうことなのか。
メディアを持った個人はどうそれを使うべきなのか。
Googleは先日Pacmanを復刻したが、プレイした人はご存知の通り、パワーえさを食べた後のモンスターは、小分けにして食べるより一度に食べた方が得点が高くなる。両書も一度に読んだ方が、それぞれ別々に読むよりも滋養が高くなる。
「みんな集まれ!」の原題は、"Here Comes Everybody: The Power of Organizing Without Organizations"。「組織なき組織化の力」、すなわち「もはや馬鹿馬鹿しいほど簡単に、人は結束し行動することができる」とはどういうことなのかを論考した一冊。
「みんな集まれ!」目次- 第1章 村を作って携帯電話を取り戻す
- 第2章 共有がコミュニティーを作り出す
- 第3章 誰もがメディアとなる
- 第4章 発表してから選別する
- 第5章 個人的動機で共同制作を行う
- 第6章 集団で既存の制度に挑戦する
- 第7章 速く、もっと速く
- 第8章 社会のディレンマを解決する
- 第9章 スモールワールドをツールでつなぐ
- 第10章 失敗はタダである
- 第11章 公約、ツール、協定
- エピローグ
そしてその力を活かしていることにかけて日本の出版界では右に出るものがいない著者が実際にどうやっているのかを「ダダ漏れ」してのが、「ダダ漏れ民主主義」。
「ダダ漏れ民主主義」目次- はじめに
- 第1章 ダダ漏れ民主主義とは何モノか
- ダダ漏れは、画期的な良薬なり
- ダダ漏れ民主主義へ。秘密主義を超えて、いざ、メディアミクス
- 結婚式と葬式とネット中毒
- 活字はどこまで崩壊するのか。あるいは、復興か?
- キンドル日本上陸。買い方だけでなく、これで読み方も変わる
- 電子書籍の衝撃は、電子レンジほどのものである(笑)
- 現場で考える、現場を見る、現場で読む
- 「無人島でこの××」について、考えてみた
- 不倫メールの隠し方に見る、超監視社会
- 「黒船来襲」なんて、大したものじゃない!
- 睡眠障害が急増中。けれども、これがやめられない
- 「フラット」な関係性へ。覚悟せよ、とんでもない事態も……
- ネット空間に漂い続けるデジタルごみ。私事暴露が日常と化す
- 第2章 何事も体験しなけりゃ始まらない!
- ダダ漏れ的な不思議なつながりもまた愉しからずや
- 指先だけで書く「予定稿」は本当に必要なのか?
- せっかち派v.s.のんびり派
- 走り始めると、なぜ、無理をしてしまうのか
- 大過ない人生と、挑戦的な人生。そしてTHIS IS IT
- 待ち方の変容。または、一〇分一〇〇〇円理容の感銘
- ツイッター中毒蔓延。つまり多くの人が寂しいのか
- 「友達がいない!」と、「おひとり様」の間
- 新旧メディアの共存としての、大読書会
- ブック・クラブを私は、流行らせたいと思う
- 「孤独な読書」と「サロン的な読書」とは、まったく違う体験知
- あの古典や名著を手に取らぬまま、読まずに死ねるか
- 第3章 メディア強者になる!
- スーパーサイヤ人並みの質問力を身につけよう
- 創意工夫をなすための「制限」という魅惑
- 足利事件で忘れられた精神鑑定書の罪
- 拉致被害者の「遺骨」をめぐる日本側の錯誤
- 芸能人の覚醒剤事件も、裁判員制度の対象に
- 組閣時の日本式「正装」をめぐる、いくつかの疑問と不安
- 二〇一〇年代、パーソナル・インフラと会社の致命的問題
- ツイッターの大ブレイクでメディアを手にした大衆
- 新聞社は、これからどうやって食っていくのか
- モノからライブへ。憧れから体験と参加へ。この動きは止まらない
- あとがき
両者の共通項、それは "Ready, Fire, Aim!"ということだ。「構え、撃て、狙え」。「構え、狙え、撃て」ではない。それこそが、「ダダ漏れ民主主義」の言うところの「いや、五〇〇年、一〇〇〇年の変化である」ということだ。投石が弓矢になり、弓矢が鉄砲になっても変わる事がなかったルールが、ついに「誘導ミサイル」の登場によって変わった。そしてこのミサイルを誰もが手に入る時代になったのだ。
何故撃ってから狙えるようになったのか。
それが、コミュニケーションの力である。
誘導ミサイル以前の時代、弾丸とは一度放たれたらあとは撃った者すら何もできないものだった。だから撃つ前によく狙わなければ当たらないし、何発も撃たなければ当たらないものだった。
しかし今や当たるか当たらないかは、撃ってからが勝負となった。あさっての方向に撃っても航続距離が充分あれば「当て直す」ことも出来るし、それどころか撃ってから目標を変えることすらできるようになった。さらに「不発弾」を「地雷」にすることすら出来てしまう。
「ダダ漏れ民主主義」あとがき個人メディアの時代には、これまで以上のリテラシーが必要とならざるを得ない。
つまりそういうことなのだ。
今までは将軍、つまり「あいつら」の仕事だったものが、今度は一兵卒、すなわち「われわれ」の仕事になるのである。責任はかつてないほど重い。が、得られるものもまたかつてないほど大きいのである。
それをどう活かすか。
もちろん今結論を出す必要はない。そんなことは読んでから考えればいい。撃ってから当てればいいように。
まずは読んでみよう。
当てるのはその後でいいのだから。
Dan the Self-Homing Bullet


狙いをつけているうちに的がなくなったりしますからね。
ご活躍の目覚ましい、ダダ漏れ女子も、
最初から今のようなことを狙っていたわけはなく、
とりあえず撃ってみた、のでしょう。