はやぶさの帰還の翌日にワールドカップ海外初勝利。日本にとってなんともめでたい「奇跡」がつづいている。
その一方で、こんなニュースも。
- 「はやぶさ」奇跡の帰還に生中継なし テレビ局に失望と批判の声 (1/2) : J-CASTニュース
- 科学予算削減の民主、はやぶさ絶賛は「現金過ぎ」 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
ネットの住民は「マスゴミ」に憤り、マスコミは「ミンス」に憤り…
という「憤り」に、Entryを起こす程度の違和感を覚えたので。
そもそも、宇宙開発は「政府」がやるべき「仕事」だって、誰が決めたんだろう?
「好き者」たちが、好きなやり方で参加する「祭り」ってことにした方がうまくいくんじゃないだろうか?
そう。スポーツのように。
以前私はこう書いたことがある。
404 Blog Not Found:書評 - ローバー、火星を駆ける確かに火星に限らず惑星探査ともなると、地球近傍の宇宙開発と違って実利を主張するのは不可能ではないにしろ難しい。「そこに〜があるからだ」という台詞は、チョモランマに行くには十分でも火星に行くには心も財布も苦しい。
火星探査に限らず、「どうやって宇宙に人の目と手を送り込むか」に関しては、徹頭徹尾理詰めの世界で、そこに「ただそうしたかったから」という感情の入り込む余地はほとんどない。しかし、「なぜ宇宙に人の目と手を送り込まねばならないのか」という設問は、実は理詰めではほとんど答えられない。
しかし、我々はスポーツを楽しむのに理由を求めているだろうか。そこでは「それが楽しいから」というのはそれをする充分な理由になっている。そしてプロスポーツを巡る金は、先進国において宇宙開発を遥かに上回る。
宇宙開発の理由も、これでいいのではないだろうか。
だから大事なのは、それがスポーツなみかそれ以上に楽しいということを示すことだと思う。実際、宇宙開発は単なる観客として見ても楽しい。スポーツと同じく、ルールがわからないと楽しめないが、ルールを知れば知るほど楽しくなるというのもまたスポーツと同じだ。
その逆に、ルールがわかっていない人をバカ呼ばわりすれば、そのスポーツからその人の心が離れて行くのもまたスポーツと同じだ。
http://twitter.com/ifitself/status/161454398288年前、サッカー知らないなりに日本を応援していて、知らないなりに感想言ったら「サッカー知らないやつは口出しするな」と罵倒されたので、お望み通り応援するのやめました。初心者が感想言っちゃいけないスポーツなんて、マニアしか見に行かなくなって廃れればいい。
s/サッカー/宇宙開発/g としても、 s/サッカー/科学/g としても、このことは成り立たつのではなかろうか。
なのに、好奇心はあっても知識がない人をバカよばわりすることにかけて、科学ファンというのはフーリガンなみにたちが悪い。
はやぶさは何が素晴らしいのか @ val it: α → α = funただ、無理くりに引きずりだした論点だとしても、ちょっと面白い点は突いていると思う。あなたは、はやぶさの帰還に感動しただろうか。だとすると、それはどの点だろう。はやぶさが満身創痍で、プロジェクトが失敗の危機に瀕しながら完遂したからだろうか。だとすると、それは違うんじゃないだろうか。
なにが、「違う」のだろうか?
圧勝より辛勝の方が「面白い」のは、スポーツも科学的探求も同じではないか?そしてファンであればこそ圧勝や惨敗の中にも楽しみを見つけるという点においてもスポーツと科学は同じではないのか?
科学的なプロジェクトは合理的に選択するべきだし、遂行するべきだと思う。
そんなばかな。
「どう科学」を合理的に進めるべきだというのは、「なぜ科学」もまた合理的でなければならないことを全く意味しない。むしろ「なぜそれを探求するのか」ということは理性ではなく感性の領域に属することだ。そうでないというのであれば、はやぶさ2とITERとどちらが合理的か説明して欲しい。どちらが「有益」かといえば後者の方に決まってる。60億kmの旅をして埃一粒しか持って返れないのと、人類をエネルギー問題から根本的に解放するのとでは、「合理的」に考えたら比較するまでもない。
しかしそれで我々は「そして末永く幸せにくらしましたとさ」となるだろうか?
だとしたら、スポーツなんてそれこそ「血と汗と涙の無駄遣い」以外の何者でもないではないか。
弾言しよう。科学こそ、娯楽化するべきなのだ、と。
娯楽であるからこそ、「生産」や「労働」では許されないムリ・ムラ・ムダが許されるのだから。
「はやぶさ」は確かに凄いんだけど… | おごちゃんの雑文何がひっかかるかと言えば、「はやぶさ」ミッションの後半部分って、ブラック企業で頑張ってる
に似たものを感じるからだ。
しかしスポーツでけがをしたり、それどころか命を落とすことを「ブラック企業」と見なす人はいるのだろうか。もちろんスポーツだって安全への配慮は念入りに行うし、そのためのルールは年々厳しくなる傾向にある。しかし仕事と違って、ルールにのっとって行われた試合における事故を「会社のせい」にはできない。
アスリートに求められるのはあくまで人事を尽くすことであって、成果を保証することではない。
サイエンティストに求められるものと、全く同じではないのか?
科学はもっとスポーツに学ぶべきだ。サッカーだって実業団の頃を思い出せぬほど強くなったし、選手たちの報酬もずっと上がったではないか。
ステートアスリートたちは、ベルリンの壁と共に去った。
ステートサイエンティストたちがそうなっていけない理由を、私は思いつけない。
Dan the Fan of Science
に立たせるのに当時のアメリカ連邦予算の10分の1使ってた。
使うときはそんだけ使わないと意味がない。NASAは今も年間2兆円の予算で
やってる。科学のためにもっと援助を、って訳知り顔で言ってる人たちは、
自分たちの年金や保障が減ってもいいから、今の日本の国家予算の1割、
9兆円を宇宙開発に使ってもいい、っていうくらいの覚悟で言ってるのかね。
俺はもっと仕分けしてもいいと思うけど。科学雑誌の売り上げがアメリカの
10分の1(人口を考慮しても3分の1)しかない日本では「科学のために
金を使う」意識が一般人に全然無い。政府が援助を打ち切ればさすがに
みんな意識が変わるでしょ。