早川書房三村様より献本。

これは、美味い!

これほど知的満腹感が得られるのと同時に、知的食欲を刺激する書物は滅多にない。自身を持ってお勧めできる。「完食できなければ返金」レベル。

本書「食べる人類誌は、文明の基礎であると同時に文化の基本である食の歴史を、文明文化双方にわたってあのミレニアムの著者がまとめたもの。今回の文庫化で半額以下買えるようになり、1/4以下のスペースで収納できるようになったことがよろこばしい。

目次
はじめに
第1章 調理の発明――第一の革命
第2章 食べることの意味――儀式と魔術としての食べ物
第3章 食べるための飼育――牧畜革命:食べ物の「収集」から「生産」へ
第4章 食べられる大地――食べるための植物の管理
第5章 食べ物と身分――不平等と高級料理の出現
第6章 食べられる地平線――食べ物と遠隔地間の文化交流
第7章 挑戦的な革命――食べ物と生態系の交換
第8章 巨人の食料―十九世紀と二十世紀の食べ物と産業化
解説 小泉武夫

食の重要性を知らぬものはいないを通り越してありえない。衣などなくとも気候が良ければ死にやしないし、(私も実は裸族)、住まいがなくとも雨露が凌げる場所さえあればやはり人は生きていけるものだが、しかし食なしに生きて行ける人は存在しない。

しかしそれは同時に、食というものを客観視することを実に難しくする。食というものに対して我々は「適度な距離から眺める」ことが出来ないのだ。いきおい、食に関する書物というのは、「料理」という文化に属するものと「食糧」という文明に属するものに分かれ、片方に関して長けた本はもう一方に関して無頓着になる。栗原はるみの本を眺めながら米の今年の生産量に思いをはせることはまずないし、 「「食糧危機」をあおってはいけない」を読みながらたまごかけご飯を食べたくなるということもありえなさそうだ。

ところが、本書にはその両方が違和感なく登場するのだ。たとえば「調理の発明」という文明論を展開するにあたってはじめに登場するのは牡蠣。現代でも--現代だからこそ--生食、すなわち「無料理」で食されることの多い食物の味を語りながら、いつの魔に人類がいつ食物を口にするまえに加工するようになったかが語られていく。

本書で読者は文明と文化、舌と前頭葉を縦横無尽に往復する。それも実に華麗に。文化論の中で文明論を持ち出すのであれば実は「美味しんぼ」という作品もあるのだが、持ち出し方も読者を案内するというより原作者の(独りよがりな)持論を(強引に)展開するものであり、私にはむしろ作品の価値を下げるものであるように感じた。

本書の文明論と文化論の往復を可能にしたのは、なんといっても著者の教養の広さと深さ。本書の文脈で日本が頻繁に登場するのは日本料理の現代における強さを考えればむしろ当然であるが、清少納言まで登場するのには舌鼓をうたざるを得ない。

美味に舌鼓を打たせる一方、著者は食が「食うか食われるか」という極めて即物的かつ切実な問題であることを片時も忘れない。「逆・日本史」にも、太平洋戦争の原因が実は遠洋漁業食糧だったのではないかという実に興味深く説得力のある説が出てくるし、ジャガイモの普及と不作がアイルランドの歴史を変え、そしてそれが米国の歴史を変えたことは「ジャガイモの世界史」をはじめ多くの本に登場するが、しかしそれらですらイネ科の人類の溺愛ぶりにはかなわないことを本書はあらためて指摘している。人類はなんでも食う一方、何でもまんべんなく食べているわけではないのだ。

オビの「小泉武夫氏、垂涎」は伊達じゃない。文庫版解説も同氏によるものだ。この解説もまた絶品で、Dr.発酵の面目躍如である。

もちろんこれだけ大きな話題を扱った本ゆえ、どうしたって「書き落とし」は出る。解説も食物の保存に関する言及が足りないことを指摘していたが、私も「これは小さからぬ書き落としではないか」と思った事が一つある。大豆の不在である。

FAOSTATの2007年の統計によれば金額で5位、重量で10位の食物である大豆の重要性は、三大穀物の次に来るのはほぼ間違いない。実際農林水産省/米国農務省穀物等需給報告でもそのような扱いだ。大豆は人間の食べ物の重要性もさることながら、人間の食べ物の食べ物、すなわち飼料としても重要で、これがなければ豆腐だけではなく肉も食えなくなるのだ。にも関わらずほとんど--いや、私がざっと見た限り少しも--本書に登場しないのだ。落花生は登場するのに。

あともう一つ。文庫で安価になったのはいいが、天地と左右の余白がいくらなんでも狭すぎ。左右余白、ほぼ一行分しかない。かなり小さな手の持ち主でも、字に指がかぶさってしまうのではないか。ページ数を増やしてでも「手すり」としての余白を確保してほしかった。ハヤカワ新書Juiceもかなり余白が少なめだが、しかし版形が一回り大きいこともあって本書ほど気にはならないかった。せっかくのごちそうも、皿に盛りすぎてはかえって安っぽくみえちゃいますぞ。文庫も然り。

しかしこれほどの広さと深さを兼ね備えた「食の本」というのは空前ではなかろうか。絶後になって欲しくないものだ。実においしくいただいた。ごちそうさまでした。

Dan the Diner