ピューリッツァー章を受賞した、あの「全てのIT業界物語の母」が新訳で復刊しました。
寄稿させていただいた序文を以下に掲載いたします。
ムーアの法則の彼方に
小飼 弾
本作は、まだIBM PCもMacintoshもない時代、技術者のメッカが西のシリコンバレーではなく東のルート495だった時代、そして最もホットなコンピューターはミニコンだった時代の、「超ミニコン」開発物語である。
本書の「超マシン」、Eclipse MV/8000の「超」ぶりを、諸元だけ見て三〇年後の今実感するのは難しい。ムーアの法則によると、コンピュータの処理能力は五年で一〇倍になる。Windows 95の発売から一五年。その間K(キロ)だったものはM(メガ)になり、MだったものはG(ギガ)になり、GだったものはT(テラ)になった。そこからさらに一五年遡った本書の時代は、現役の業界人から見ると歴史どころか考古学の世界にすら感じる。
しかし考古学を少し学べば、往時の人々の技能の叡智が現代人に少しも劣らず、それどころか優れている点も少なくないことはすぐわかる。コンピュータどころか重機がなくともピラミッドも法隆寺も建設できたのである。その時代に自分がそこにいたとして同じものをつくれるだろうか。考古学と同様、そのすごさは出来上がったものではなく、出来上がりまでの過程と背景を追うことではじめてわかる。
そして一四〇〇年前に建てられた法隆寺にも、今建てられている東京スカイツリーも、同じ原理で建っているのと同様、本書の原題はThe Soul of A New Machine。当時のコンピュータに魂を吹き込む作業は、現代のそれと呆れるほど変わるところがない。下位互換性と先進性の葛藤。予測可能なはずのプログラムが引き起こす、予測不能なエラー、そしてライバルとの熾烈な争い……
今でこそ、IT産業の現場の物語は、『闘うプログラマー』(日経BP社)や『計算機屋かく戦えり』(アスキー)など少なくないが、一九八一年に原書初版が上梓された本書はそれらの物語のプロトタイプでもある。まだ普通の人々にとって、コンピュータというものが普段の生活とは縁がない「超マシン」であった時代に書かれているだけあって、動作原理の説明などはそこらの入門書よりもずっと丁寧でもあり、物語としてだけではなく入門書としても楽しめる。本作がピューリッツァー賞を受賞したのは必然と言っていい。
本作で語られた16ビットと32ビットの葛藤は、その一五年後Windows 95で一般の人々も目撃した出来事であり、そして今まさに32ビットと64ビットの葛藤としてそれが再現している。時同じくしてWintel一辺倒だった業界にGoogleとAppleが風穴をあけたこの時代に本作が新訳されるというのは絶妙のタイミングである。イーグルの巣であったデータゼネラルもそのライバルだったDECも今はない。しかしその魂は今も生きている。本書でそれに触れて欲しい。ただの昔話でないことは魂をかけて保証する。
blog掲載を許可して下さった日経BPに感謝いたします。
Dan the Reviewer Thereof
20数年前、研究室のベッドで涙を流しながら読んだ記憶が。。。